男性、女性をまとめて人類とするには無理がある
例えば、学問が好きだ。スポーツが好きだ。スポーツもですね、私も野球を全然バカにしているんじゃないですよ。野球選手の有名な野村監督が、のちに言ったように、「たかが野球、されど野球」これが男性の幸福なんですね。たかが野球なんですよ。だいたいピッチャーが投げた球を打つとか、三球空振りしたら三振になるなんて、これは何の意味もないわけですよ。一塁ベースまで何メートル? これだって全然意味がないんですよ。だから「たかが野球」なんです。なんであんなもんに熱中するのって……だけど「されど野球」、つまりこれは仮想的な幸せなんですね。野球で優勝するというのは、もう無上の喜びなんですけれど、これは仮想的なんですよ。つまり「たかが野球、されど野球」なんです。
ところが、女性の幸福はたかがじゃないんですよ。子供を産むのに「たかが子供」じゃないんですよ。それこそが目的なんです。
そのため女性の幸福は実体的な幸福であり、男性の幸福は幻想の幸福である。絶対に一緒にして論じてはいけないと思いますね。
その意味では男性と女性を人類という言葉で一括りするのがいけないので、女性が第一人類、男性が第二人類としたらいいんです。
本当は、これも違うんですよ。女性は第二人類がいいんですよ。ただ、女性というのは実験を握っていますから、形式は全部男性に譲るということで上手くいくようになっています。ですから、女性は自分たちが第二人類とだけ言っておいて、第一はある意味ないからね‥‥というのが女性としての特性ですから、女性の幸福を考えるときは、逆に女性は第二人類、男性は第一人類といってもいいんでしょう。
ただ、そう言うと、変な女性の権利はとかいう人たちから反撃を食らうので、ここはちょっとごまをすっておいて、女性が第一、男性は第二に‥‥。
もしかするとちょっと言葉はいけないんですが、女性は女類、男性は男類と言った方がいいかもしれません。そのくらい、大きく差があるような気がするんですよ。人間の男と猿のオスの方がおそらく幸福ということを考えるには近いんでしょうね。人間の女性と猿のメス、これは非常に幸福状態が似ていると思うんです。
しかし、人間の女性と人間の男性というのは非常に離れているという風に思います。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 2025024