
汽車の女
広田先生と会う前に、汽車の中で女と田舎の爺さんがしていた会話は、日露戦争後の庶民の困窮状態を意味しており、一等国になっても庶民は逆に苦しんでいる生活が示されている。さて、この女の登場は、何を意味するのか。三四郎は九州で母親やお光さんに囲まれて育っているが、それまで彼女等を異性とはあまり意識してはいない。しかも、九州は男賂女卑の浪い男性上位の社会である。だが、封建社会を一歩出てから会ったこの女は、全くこれまでとは異なった世界での異性であり、三四郎にとっては全く未知のものである。女は結婚して子供もいる人妻であるが、三四郎の倫理観からすれば想定外の女で、彼女から「あなたは度胸のない方ね」と言われたことに屈辱を感じたのである。うぶな男が、女の魔性に恐ろしい危険を含んでいると認識した初めての体験であった。
後に三四郎は、この体験が美禰子との付き合いにおいても時々亡霊の如く出てくる。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250406