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yymm77

日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

映画『雪風 YUKIKAZE』公開に際して 上島嘉郎 FBより転載

映画『雪風 YUKIKAZE』公開に際して 上島嘉郎 FBより転載





8月15日から映画「雪風 YUKIKAZE」が公開される。

〈生きて帰る 生きて還す〉
との副題が付され、主役は竹野内豊さんだ。

雪風は、大東亜戦争時の主力駆逐艦だった
甲型駆逐艦38隻の中で唯一戦後まで、
ほぼ無傷で生き残った艦である。

駆逐艦は激戦の海に投入され、
戦艦や空母の盾となって損耗率が非常に高かったが、
雪風は昭和17年2月のスラバヤ沖海戦から
同20年4月の坊ノ岬沖海戦
(戦艦大和以下第一遊撃部隊の沖縄特攻)まで
十数度の作戦に参加し、果敢に戦った。
乗員の練度高く、特筆すべきはその間一度も
大きな損傷を受けなかったことで、
「奇跡の幸運艦」と呼ばれた。

映画は、生き残った艦として、
大破、沈没艦の戦友を救出すること、
それに挺身する雪風と
その乗組将兵の姿を主題に描くようだ。

雪風は戦後は復員輸送のために働き、
日本海軍解体に伴って除籍後は、〝賠償艦〟として
中華民国に引き渡された。

「丹陽」と艦名を改められ、
同国海軍の主力として
中共軍とも戦った。

その後、1971年に解体されたという。

海軍記者の大御所だった伊藤正徳は、
『連合艦隊の栄光』で

〈軍艦としての武運長久などの形容詞より、
 幸運(好運)という平凡な表現の中に
 雪風の偉大さを求めたい〉

と綴ったが、さて、
映画はどんな偉大さを、
戦前の日本と日本人の姿を見せてくれるのか。

史実に基づくフィクションであることを
承知していても、「ゴジラ-1.0」を観たときのような、
ある種の落胆を予感してしまう私は
余っ程つむじ曲がりなのかも知れない。

近年のNHK大河ドラマ然り、
終戦の日前後に放送されるテレビ各局の
ドラマ、報道番組然り、
祖国の歴史に対する敬意と畏れに欠け、
平気で現代の価値観や評価軸を持ち込むような
作劇、演出がなされている。

その眼差しは、現代の日本人による
父祖の苦闘への容赦ない審判の如くだ。

私はそれにとても共感出来ない。

ともあれ、「雪風 YUKIKAZE」も
そういう作品であろうという予断はいけない。

楽しみに劇場に足を運ぼうと思っている。

戦艦大和の沖縄特攻に随伴した
第二水雷戦隊の編制は、
軽巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、浜風、雪風、
初霜、霞、朝霜、冬月、涼月の9隻。

航空支援のないわずか10隻が、
我が海軍最後の水上部隊だった。

雪風と並んで「幸運艦」と
呼ばれていたのが涼月だ。
ただし、涼月は、ほぼ無傷だった雪風とは違い、
戦闘で3度も艦首を吹き飛ばされ、
沈没寸前まで大破しながらも
都度帰還した傷だらけの奇跡の艦でもある。

特攻作戦の中止が下令され、
生存者の救出後、佐世保港に帰投出来たのは
雪風、初霜。冬月、涼月の4隻。

雪風の戦後は先に触れたが、
涼月はどうなったか。

実は除籍後、艦上構造物を取り除かれ、
福岡県北九州市の若松港の防波堤に転用された。

僚艦冬月もまた、戦後工作艦となり、
門司港の機雷除去任務に従事したのち、
涼月の隣に防波堤として今も働いている。

この「軍艦防波堤」にはもう一隻、
第一世界大戦中に日英同盟の要請にしたがって出撃、
第二特務艦隊に属して
地中海でドイツの潜水艦と戦った
駆逐艦柳も並んでお務めを続けている。

涼月、冬月はコンクリートに埋没して
その姿を見ることは出来ないが、
柳はかろうじて艦の姿を偲ぶことが出来る。

銃砲弾の飛び交う戦場でのお役目を終えた彼らは、
その後長く波浪に立ち向かって
港の安全に尽くしている…。

7月初旬、涼月、冬月、柳の三艦に逢いに
若松港に行ってきた。

案内板があって、艦の位置を
うかがい知ることは出来る。

柳は腐食が進んでいた。

我が国で現在、実際に見て、
感じることの出来る旧海軍の艦は、

横須賀の戦艦三笠と
東京・お台場の船の科学館に
係留されている南極観測船宗谷(海軍特務艦)、
横浜山下公園埠頭の氷川丸
(元は貨客船。大東亜戦争開戦後に海軍特設病院船)
くらいしかないのではないか。

そうだ、呉市の大和ミュージアムに
「十分の一戦艦大和」があるのを忘れてはいけない。

戦後の私たちは、父祖の苦闘を知る
手がかりを如何に失ったか…。

「戦争の記憶を風化させてはいけない」と語る
人々、メディアは多いが、
その視点は著しく平衡を欠いている、
と私には思える。
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