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yymm77

日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

日本文化 日本と他国の文化はまったく異なる

日本文化 日本と他国の文化はまったく異なる

日本全体を覆っている「錯覚」の正体について、次に検証するのは「日本文化」です。
日本というのは温帯の島国です。温帯の島国というのはいくらでも地球上に ありそうに思うかもしれませんが、実は割合と大きな島国となると日本だけです。イギリスは亜寒帯ですから温帯とは言えず、日本からみれば非常に厳しい気候です。
その他の類似のところというと、マダガスカル島やニュージーランドですが、これらはいずれも南半球で、昔からほとんど人がいませんでした。
熱帯地方となるとインドネシアなどの国がありますが、なんと言っても熱帯ですからやはり気候は厳しい。また、島があまりに小さいと日本とはかなり感じが違いますし、人口密度が低くてもその影響は異なります。
そうしてみると、日本のように1億人ぐらい住んでいて、37万平方キロメートルぐらいの土地面積があって、しかも温帯であるという国はまったくありません。
ある程度の人がまとまって住んでいて、動物も一緒にいて、山や谷があり、四季折々春夏秋冬があって、適切に雨が降るなどというところは本当に日本しかありません。世界を旅行してみると、日本がいかに風が弱くて気候が穏やかで、暑さで死ぬこともなく凍死することもない特別な国だということがわかります。

その中で昔の日本人は自然をじっくりと観察しました。日本人が特別に自然に対する観察力が強い人種だったのか、それとも日本列島という特別な地形と気候の影響を受けて日本人が自然をじっくり見るということになったのかはわかりません。
日本以外の多くの国では、自然とは自分を襲ってくる危険なものです。猛獣も自然もともに人間を襲ってくるものです。ところが日本は猛獣も多くはいなかったということもあって、「自然と共に暮らす」という環境にありました。
もちろん噴火や地震もあれば台風もありましたが、それはときどきのことです。
その結果、非常に大きなことが日本人の精神文化として表れるようになりました。
その第一は「すべてのモノは、お互いに頼りながら平等に生きている」という概念です。
人間同士、男と女もそう、動物もそう、植物もそう、山や川や海といったものも、本質的には「同じ」であり、さらには自然現象の雷とか台風とかいうものも「自分たちと一緒にある」と考えるようになったのです。
そのことは江戸時代の俳人・加賀千代女が詠んだ有名な俳旬によく表れています。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水」
朝顔が井戸の釣瓶に絡まっていて、自分が水を汲みあげようとすれば朝顔の蔓が切れてしまう。それはかわいそうだ から、お隣に水を借りに行くということですね。こういう心境というのは、日本で生活をしたことのない人にはわからないそうです日本人以外の方々からすると「朝顔の蔓ぐらい切って何が悪いのだ。自分が水を飲むことのほうが大切だ」と考えるほうがあたりまえのことなのです。海外の環境の厳しいところになると、極端なことを言 えば、自分が水を飲むために人を殺したりすることもあるからです。
しかし日本のように水に不自由しないところだと、自分の家の水が飲めなければお隣に借りに行けばいい。さらに、朝顔だって自分と一緒なのだという気持ちになるのです。

もう一つ日本人の特性として極端なのが、自動車のバンパーです。
パリなどへ行くと、非常に路幅が狭いので車同士がギュウギュウに駐車されています。ですから、前の車のバンパーに当ててギュッと押し出して、後ろの車にもバンパーを押しつけてギュッと後退させて、その間 にできた隙間から出ていくというようなことが普通にあります。
もちろんバンパーには傷がつきますが、そのときに「おれのバンパーに傷をつけてどうしてくれる」などというのは日本人だけで、他の国でそんなことを言ったら「バンパーというのはボディを守るためにあるのに、何をあなたはそんなに怒っているのですか?」ということになります。

この2つの例は、「植物も人間と同じ、そしてモノも人間と同じだ」という、日本人の感覚をよく表していると思います。

『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060718 P214



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