十一 常住の死と覚悟
この第九項、第十項に述べたことを「葉隠」はさらに詳しく、具体的に叙述している。
「五六十年以前迄の士(さむらいひ)は、毎朝、行水、月代(さかやき)、髪香をとめ、手足の爪を切つて軽石にて摺り、こがね草にて磨き、懈怠(けたい)なく身元を嗜(たしな)み、尤(もっと)も武具一通りは錆をつけず、埃を払ひ、磨き立て召し置き候。身元を別(わ)けて嗜み候事、伊達のやうに候へども、風流の儀にてこれなく候。今日討死討死と必死の批悟を極め、若し無嗜みにて討死いたし候 へば、かねての不覚悟もあらはれ、敵に見限られ、穢(きた)なまれ候故に、老若ともに身元を嗜み申したる事にて候。事むつかしく、隙つひえ申すやうに候へども、武士の仕事は斯様(かよう)の事にて候。別に忙(せ)はしき事、隙入る事もこれなく候。常住討死の仕組に打ちはまり、篤(とく)と死身に成り切つて、奉公も勤め武辺も仕(つかまつ)り候はば、恥辱あるまじく、斯様の事を 夢にも心つかず、欲得我儘ばかりにて日を送り、行当りては恥をかき、それも恥とも思はず、我さへ快く候へば、何も構はずなどと云つて、放埒無作法の行跡になり行き候事、返す返す口惜しき次第にて候 。平素必死の覚悟これなき者は、必定死場悪しきに極り候 。又かねて必死に極め候はば、何しに賤しき振舞あるぺきや。このあたり、よくよく工夫仕るぺき事なり。又三十年以来風規相替はり、若侍どもの出合ひの話に、金銀の噂、旧徳の考へ、内証事の話、衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて、この事のなければ 一座しまぬ様に相聞え候。是非なき風俗になり行き候。昔は二十 、三十ども迄は索より心の内に賤しき事持ち申さず候故、詞(ことば)にも出し申さず候。年輩の者も不図申し候へば、怪我の様に覚え居り申し候。これは世上花麗になり、内証方ばかりを肝要に目つけ候故にてこれあるべく候 。(略)」( 聞書第一 一二四頁)
『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫) 20240806 P50