仏教とキリスト教は、同じことを示している
お釈迦様は、天国とは関係なくて人生の中で幸福、悟りを見つけなさいとこう言っているわけですが、イエスキリストはちょっと宗教的なので、あなたは天国に行けますよという言い方で同じことをおっしゃっているのではないかと思うわけですね。
このように考えますと、宗教的な幸せということもあるわけです。ただ、私がちょっとここで苦言を呈しますと、お釈迦様とイエス様が言われた「幸せとは何か」「幸福とは何か」というものが2000年のときを経てもまだ人の心に残っているわけです。それから、おそらくお釈迦様、イエス様も、その後のお弟子さんの様子を見ると、大変に神様に近い人だったこともわかるので、これを直接利用させていただけることは大変すばらしい。
しかし、その後の人が書いたものは、僕はあまり当てにできないと思うんですよ。偉いお坊さんが書かれたものも読むと、確かにそうだなとは思うんですが、それがお釈迦様とちょっとニュアンスが違いますと、僕はお釈迦様がおっしゃったことのニュアンスを変えるだけの力が、後のお坊さんにあったのかなと思ったりしますし、キリスト教の人には大変恐縮なんですが、私はイエス様が言われたことは、もう神様に近い、あるいは神様かもしれませんので理解できなくてもそうだなと思うべきだろうなと感じているわけですね。しかし「ローマ法王が〇〇と言われた」と言われても、ローマ法王って僕が読んだイエス様が聖書の中で語られている「いけないこと」をされているんじゃないかという気がするんですよ。権威をつけて、良いところに住んで…つてね。
ですからそのような人に「幸福はこうだ」と言われても、あなたがそう言うんだったら、私はイエスキリストがおっしゃられている聖書に書かれたことをそのまま受け容れた方が幸福だと感じられるという感じです。このお釈迦様とイエス様がおっしゃられたことというのは、私がここで展開しようとしている「幸福とは何か」ということの中に入れさせていただきたいと思っているんです。つまり、これもある意味での科学的根拠なんですね。
例えば、動物がこうするとか、まぁ、男性と女性がこうだとか、それからお釈迦様とイエス様はこう言われたとかは、いずれも私たちが幸福と考えるものを探求する上での一っの参考資料と言ったら怒られちゃうんですけどね。まぁそういうものだということです。最終的には何というか、それを我々は咀哨しなければいけませんね。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250218