三四郎の告白
二人でしばらく無言で歩いた。三四郎はなんとか話題の糸口を探している。やがて、女の方から口を利き出した。
「今日、何か原口さんに御用が御有リだったの」
「いいえ、用事はなかったです」
「じゃ、ただ遊びにいらしったの」
「いいえ、遊びに行ったんじゃあリません」
「じゃ、何でいらしったの」
三四郎はこの瞬間を捉えた。
「あなたに逢いに行ったんです」
三四郎はこれですべてを言ったつもリだが、女は少しも刺激を受けなかった。三四郎は、悪い予感がした。自分の精一杯の告白に美禰子は、ちっとも刺激を受けない。
「お金はあそこじゃ頂けないのよ」
三四郎はなお
「本当は、お金を返しに行ったのじゃあリません」
と言った。美禰子は暫くして
「お金は私も要リません。持っていらっしゃい」
と言った。それでも、三四郎は
「ただ、あなたに逢いたいから行ったのです」
と告白した。女の口から洩れた微かな溜め息が聞こえた。美禰子の口から洩れたのは微かな溜め息だった。三四郎の告白は遅かったのだ。今度は、女から話しかけた。
気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250624