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yymm77

三 デリカシー

三 デリカシー

男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えな がら、現代よりももっと緻密な人問同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。常朝は人に意見をするにも、次のような配慮と、次のようなデリカシーをつぷさに説いている。
「人に意見をして疵(きず)を直すと云ふは大切なる事にして、然も大慈悲にして、御奉公の第 一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。およそ人の上の善悪を見出すは易き事なり。それを意見するもまた易き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力に及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。ただ徒に、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。そもそも意見と云ふは先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂になり、此方の言葉を平索信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は雑談の末などの折に、我が身の上の悪事を申出し、云はずして思ひ当る様にか、又は、先づよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲む様に請合せて、疵を直すが意見なり。されば殊の外仕にくきものなり。(略)」(聞書第一  一〇三頁)
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかわりに、無料の忠告なら湯水のどとくそそいで惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめったになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、恨みをかうことに終わるのが十中八、九である。常朝はこのことをよく知っていた。彼が人に忠告を与えることについての、この心こまかな配慮をよく見るがよい。そこは、人間心理についての辛辣なリアルな観察の褒づけ があるのであって、常朝はけっして楽天的な説教好き(人問性にもっとも無知な人びと)の一人ではなかった。

『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫)   20240729  P42

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