「UFOがいない」とは、本物の科学者は言わない
ここから少し視点を変えて、やわらかい問題についても考察していきたいと思います。まずは「UFO」です。
UFOを目撃したという話はたくさん出てきますね。航空自衛隊のパイロットやアメリカ空軍のような空を飛んでいる人たちが、随分とUFOを目撃しているらしい。そのうちのいくつかは写真なども撮られていて、それらを目にすると「いったいどういうことなのだろう」と思います。
こういった話題になると、科学者の多くは「そんなことはないよ」「だいたいが飛んでくるとなれば相当程度の文明の高い星が近くになければならないのにそんな星はないよ」と言います。
確かに、地球から100光年あたりのところの星で文明のありそうなところはほとんどありません。1万光年ぐらいになって、ようやくそうした可能性のある星が少しある程度です。
1万光年離れたところから飛んでくるためには光の速さで1万年かかります。通常の宇宙船の速さだと5万年、10万年とかかる。10万年もかけて地球の探索にくるなどというものはまったく無駄なことですし、そもそも無理だ――――とUFOを否定する人たちは言います。

だからUFOの目撃情報にしても「恐らくは何か光の加減であるとか、パイロットが空を飛んでいるうちに幻想を見たのではないか」と反論するのです。
これは一見科学的な意見のように見えるかもしれません。しかし、この科学者たちは実は間違っています。ここに科学の落とし穴があるのです。
UFOが飛んでくる可能性というのは「ある」のです。それはどうしてかと言えば、光よりも速い移動手段が「ない」と決まったわけではないからです。
「光がいちばん速い」と言っているのは、今の私たちの科学の常識の範囲内でのことに過ぎません。ですから、私たちの知能の及ばないようなものがあるかと言えば、それは「ある」のです。
そのことは過去を見ればわかります。
人間が誕生したのは600万年も前のことです。しかしわずか1000年前、1000年前というと人類誕生からの600万年のわずか6000分の1です。
その1000年前、たとえば平安時代の紫式部に飛行機をみせて「あれは何だと思いますか?」と尋ねれば、きっと紫式部は「空を飛んでいるのなら天狗ではないか?」とでも言うでしょう。
なぜ紫式部が飛行機を天狗だと言い、今の人は飛行機だと考えるのかと言えば、人間は目に見たものを、今の自分の知識の範囲で判定しようとするからです。

もちろん紫式部のいた平安時代には飛行機はありませんから、あんな巨大なもの空を飛ぶなんて考えもしません。ならば、それは天狗のような怪物の類ではないかと考える。
このように、私たちはいつも自分の頭の中に入っている知識の中から正解を探すという癖があるのです。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060629 P161