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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

◎ 自然の正しい利用の仕方 『家庭で行う正しいエコ生活』武田邦彦 平成21(2009)年 講談社刊より

◎ 自然の正しい利用の仕方

自然を「大自然」と呼んでいた頃、ちょうど、人間は、お母さんに抱かれた赤ちゃんのようなものだったのです。何を言っても何を汚しても、みんなお母さんがキレイにしてくれました。「川で洗濯をする」というのもそうで、上流から流れてくるキレイな水でおしめを洗っても、自然はそれを海に流し、海の水が太陽の熱で蒸発して雲となり、雨を降らせてまた川のせせらぎになって、お母さんはもう一度、おしめを洗えたのです。
でも今は違います。人間という名の赤ちゃんも大きくなり、もうお母さんの背丈の3倍にもなりました(イオウの排出量で自然と人間とを比較すると、人間が3倍だから、このように表現しました) 。だから、もう好き勝手はできません。赤ちゃんのときのようにお母さんの背丈の3倍もある息子が、好きなだけ汚したらお母さんは疲れてしまいます。
それが今の自然と人間の関係です。
ですから、節約とか、自然に優しいと言っているだけではお母さんは手に負えないのです。子供がお母さんの面倒を少し見なければならないのです。
それには「半分ぐらいは人間が面倒を見る」というのがよいようです。たとえば森林でも、全部が自然林では人間がそれを破壊してしまいますが、半分は人間が面倒を見る人工林、半分は自然が守る天然林にしておくと、森林を生き生きと守り、そこに住むリスやキツネも喜ぶことになります。
これは、森林だけではなく、農業でも漁業でも同じで、「自然のままの農業、自然のままの漁業」だけではそれを利用する人間の活動があまりにも大きいので、自然が傷んでしまうのです。
田畑では、路地とハウスのような人工的な土地が、50ら叩なら、農業も生き返るでしょう。漁業も内水面(陸地の中に人工的な海がある状態)や、養殖が盛んになれば、自然の魚が泳ぐ海と、人間が使う海の両方が栄えることになるでしょう。
自然を守ること、エコを考えることはとても大切なことですが、そのためには「知識」が必要です。昔、中国の偉人、孔子様は「好直不好學其蔽也絞」と言っておられます。その意味は、「真面目な人は勉強しなければならない。なぜなら、真面目で知識が少ないと、他人を非難し、責めるようになるから」と警告しています。
現代の環境運動家の多くはとても攻撃的です。ゴミを分別しない人を非難し、ときには相手が弱っているのにゴミを突っ返したりします。そんなことは心優しい人にはできないことです。ある市長が私のところにきて「私の市は坂が多いので、膝の痛いお年寄りがゴミを出すのが大変だ。まして分別などさせると、回数が増えてとてもかわいそうだ。どうにかなりませんか」と相談に来られました。
「環境」は人を痛めつけるためのものではありません。丈夫な人で家族4人で過ごしている人は分別もできるし、特別にどこかに買い物に行くこともできますが、それはとても恵まれているからです。独り身の人、連れ合いに先立たれた人、風邪を引いて苦しんでいる人、お金がなくて専用ゴミ袋を買うのも辛い人‥‥‥そのような多くの人でこの社会が成り立っていることを少しは考えてもらいたいと私は思うのです。

『家庭で行う正しいエコ生活』武田邦彦 平成21(2009)年 講談社刊より 20251224



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