一人の科学者の学者生命を奪った科学系の新聞記者
これをSTAP細胞にあてはめますと、STAP細胞というのが本当に存在するのか存在しないのかは今でもわかりません。
STAP論文がウソか本当かなどとマスコミで騒ぎ立てなくても、ほかの人が追試をしても結果が出ないということが10年も20年も続けばそのうちSTAP細胞自体が忘れ去られてしまうというのが科学的な常識なのです。
まあ私なども随分と論文を書いてきましたが、あとになって心の中で「あの論文は間違っていたかなぁ」と思うこともある。しかしそれらは間違いを故意にしたのではなく、そのときの自分の知識ではそう結論したというだけのことです。
要するに、なぜ私たち科学者が故意にウソを つかないかというと、ウソがバレることがわかっているからです。
自分が論文を書いてそれで終わりというのであれば、ウソで ごまかした論文を書いて大学の教授になって、それでいけるということもあるでしょう。しかし文系の論文ならまだしも、科学の論文においては追試によって実験検証されればウソか真かは明確に答えが出てしまいます。
ですからSTAP細胞のときに私は一所懸命に言ったのですが(研究者の年齢がまだ30歳ぐらいだったので)、30歳ぐらいの科学者でウソをつく人がいないとは限りませんが、仮にウソをついたとしてもどうということはないのです。

その論文が、やがて本当だったということになればそれは非常にいいことでしょう。もしもウソや錯覚だったとしても、それはそのうちに忘れ去られるだけのことです。
あの騒動に乗じて一所懸命に「ウソだ」と主張 をして、本や論文を書いて何か受賞もした科学系の新聞記者がいましたが、そんなことはまったく必要がないのです(『捏造の科学者』毎日新聞科学環境部・須田桃子著、大宅賞受賞)。
もしもSTAP細胞論文がウソであれば、それはその30歳の研究者の研究者生命を奪ってしまいます。もう研究の領域で活躍することはできません。だ から普通に考えれば、30歳の研究者がウソを言うというとは考えづらく、おそらくは何か錯覚したことがあったのだろうと捉えるべきだと私は思います。そしてそれは放っておけばいい のです。
当時は大騒動でしたから、私はすぐにその論文を自分で読んでみました。追試をしたわけではないので真偽についてはわからないものの、読んだ感想としては「ああ、なかなか立派な論文だなぁ」「書いてあることも筋道が通っているなぁ」というものでした 。
そのころ私はよくテ レビに出ていましたから、ある番組内で「STAP細胞の論文はとくに問題はないですよ」と言うと、他の出演者全員が「そんなことはない。あれはウソだ」と私に反論してくるのです。
そこで私が「どうしてですか? 結構いい論文でしたよ」と返答し、そこにいる方々に「論文は読みましたか?」と尋ねると誰も読んでいない。論文を読まずに、その論文がウソであると言い、その根拠は「誰かがそう言っていた」というだけのことなのですね…… 。
ともかくここで重要なのは、繰り返しますが「科学にウソは通用しない」ということです。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060524 P054