ウソに蝕まれた学者や政治家たち
このように、報道とは「任意にコントロールできる」ものです。これは日本ばかりの話ではありません。
国際社会では、時にメディアが政治的に利用されることもあります。たとえば国民に対して、B国に関する悪いニュースだけを伝える。そしてA国に関する良いニュースだけを伝える。すると、多くの国民はA国のことは好きになり、B国のことは嫌いになります。
こうしたウソを防ぐためにはどうすればいいかと言えば、やはりイチにも二にもメディアに所属する記者やデスクが自分の思想を相手に押しつけようとしたり、視聴率を上げようとか新聞の販売部数を増やそうということをひかえる。事実をそのまま伝えて、視聴者や読者が自分の頭で、自分の人生を鑑みながら判断できるような情報を提供する。事実を報じることに 徹する「記者魂」を持つことが大切です。
もちろん記者といっても人間ですからいろいろな気持ちはあるでしょう。人間は自分の考えていることが正しいと思いがちですが、実はそれぞれの個人の考えていることはそれほど正しくはありません。
だから自分が何かしらの意見を持ったとしても常にその考えは間違っているのではないかと顧みる。自分の意見に対する反論を受けたときにはその反論のほうに多く耳を傾けて、自分の判断をできるだけ正しいものへと近づける努力をしなければなりません。
しかし現在のメディアは政府の考え、官僚の考え、スポンサーの考え、そして世の中全体がどう考えているかということばかりを優先して、事実がどこにあるかということをまったく気にしないというような風潮にあります。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060707 P183