十四 行き過ぎの哲学
第一項にも言ったように、いったん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従うほかはない。獅子は荒野のかなたにまで突っ走っていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。常朝は行き過ぎということを精神の大事なスプリングポードと考えた。それ が次のような記述になってあらわれる。
「中道は物の至極なれども、武辺は、平生にも人に乗り越えたる心にてなくては成るまじく候。弓指南に、左右ろくのかねを用ふれども、右高(みぎたか)になりた がるゆゑ、右低(みぎひく)に 射さする時、ろくのかねに合ふなり。軍陣にて、武功の人に乗り越ゆべきと心掛け、強敵を討ち取るぺしと、昼夜望みをかくれば、心猛(たけ)く草臥もなく、武勇を顕(あら)はす由、老士の物語なり。平生にもこの心得あるbえきなり。」(聞書第一 一三〇頁)
『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫) 20240809 P54