「中国4000年の歴史」のウソ
「ヨーロッパの地域と国」の歴史を詳しく書きましたが、「国」がなかったのはヨーロッパばかりではありません。フランス革命まで日本を除く世界は、「地域」をある「王族」が支配するという状態だったのです。
たとえば支那ですが、「中国4000年の歴史」というのはウソで、「中国(中華人民共和国)」という国は今から70年ほど前にできた新しい国です。
それまでは「支那(チャイナ、china)」という地域に、「漢」「唐」「宋」「明」「清」という王朝がありました。王朝ごとに、別の「国」になります。当然、支配地域も違いました。ですから、正式には「中国の明」とは呼ばず、「明国」と呼称します。
つまり、「中国」という国に「明」という政権があったのではなく、「支那」という地域に「明国」という国があったということです。ですから、国が代わると次の国は前の国の歴史を書き換え、天子の墓を暴き、その骨を捨てて別の国になったことを示したのです。
日本ではそんなことは起こらず、天皇のお墓は今でもそのままです。
天皇が直接統治する時代を経て、その後、天皇から「関白」や「征夷大将軍」に任命された者が統治する時代に変わっていきますが、統治者が藤原氏、平家、源氏、足利(あしかが)家、徳川家と変わっても、いずれも天皇の部下でしたから、支配層でも庶民でも「日本」という国が実感できたのです。
それでもまだ、ヨーロッパや支那は「地域」ぐらいはハッキリしていましたが、ユーラシア大陸の中央部から中東と言われるところは「地域」もハッキリしませんでした。
なにしろ大草原が広がっていて「どこからどこまで」かハッキリしなかったので、いわば自由自在に王朝が生まれたという具合です。
たとえば、最近紛争になっているシリアでも、紀元前はアッシリア、それからローマ帝国の属州、さらにイスラムになるとウマイヤ朝、蒙古に占領されてイル汗国、さらにはいろいろな王朝の一部になり、第一次世界大戦が終わるまでの長い間はオスマン帝国(かつては「オスマン・トルコ」と呼んだ)の領土で、「シリア」という国がハッキリ歴史に出てくるのは1920年代、つまり今から100年ほど前からという状態です。
日本でシリアのことが報道されるときには、「IS(いわゆるイスラム国)は、イラクとシリアにまたがっていて、国ではない」などと言われますが、もともとはイラクとシリアは同じ国だったのです。
しかし、ヨーロッパのように近代化が進んでくると、民族と民族が対立し、その民族を代表する国がないことに違和感を覚えることも多くなりました。その―つが「フランス革命」で、「国がない」という不満が爆発したものでもあったのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250811