住民を見捨てることは清王朝にとっては当たり前
まず、満洲の北部にあるハルピンヘの鉄道と、そこから満洲の南部の旅順まで勢力を伸ばすためには、清王朝と交渉する必要がありました。実際にロシアが満洲の北方に到達して、試しに清王朝に「満洲を縦断する鉄道を敷いて、旅順に軍港を置きたいのだが」と打診すると、意外なことに清王朝は「かまいません」とこともなげに言うのです。
「国」というのはどういう状態を言うのでしょうか。現代の日本の常識では「国にはトップになる人がいて、トップの人が命令する軍隊がいて、その軍隊が国を守るので国民は安心して生活できる」ことだと思います。確かに人類の最初の「国」というのは住民がある豪族のところにやってきて、「王様になって私たちを守ってください」と頼んだのが最初とも言われています。
そのときに後に王様になる人が、「王様になっても良いけれど、お前たちの息子を兵士として徴用して戦争で殺し、お前たちの娘を宮殿に入れて子供を産ませることになるが、それでも良いか?」と尋ねます。それに対して、住民は「それでも結構です。だって、毎日のように馬賊が襲ってきて家族みな殺しの恐怖におののくよりずっと安心です」と答えたとされています。
つまり「国家」とは「国民」を守るものだと思われていますが、実は当時は「北京」などの「都市」が一つの国家をなしていて城壁を持ち、敵に対して住民も守ったのです。
清王朝でも北京や北京の付近の土地を除いて、天子(支那の皇帝)は興味がなく、清王朝のようにもともと満洲の出身でも、満洲の住民を守ろうとか、満洲は我が国土だから守らなければならないという感覚はなかったのです。
それに加えて、ロシアの使節団は「もし満洲を縦断する鉄道を敷設し、旅順港を軍港として使わせていただければ、た母年、北京に朝貢してロシアの美味しいものや貴重なものをプレゼントします」とでも言えば、自分たちが得をするので、住民を見捨てることは清王朝にとっては当たり前のことでした。
事実、ロシアは何の抵抗もなくハルピンとウラジオストクを鉄道で結び、さらに満洲を縦断して旅順まで鉄道を伸ばします。これが有名な「南満洲鉄道」でロシアは実質的に満洲を領土にしたようなものでした(通常は実効支配という言葉を使う)。
これに味をしめたロシアは、さらに南下したいと思い、李氏朝鮮に「私たちは満洲まで来ましたので、できれば朝鮮半島を縦断して釜山(プサン)の近くに軍港を置きたいのですが」と打診します。
当時の李氏朝鮮も「国」のような体裁はとっていましたが、宮殿にいる王様や官僚は国民のことなどは考えていませんでした。すでに長く朝鮮を支配しているうちにすっかり自分のことだけを考えるようになり、ヤンバンという特別な階級を作って自分たちだけが良い思いをすればそれで満足という清王朝の支配層と同じ考えになっていたのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250917