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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」の日でした。新米をいただく前に──神嘗祭に込められた祈りと誇り

10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」の日でした。新米をいただく前に──神嘗祭に込められた祈りと誇り





10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」の日でした。伊勢神宮で行われるこの祭りは、年間1500回以上ある神宮の祭典の中でも、最も重要とされる神事です。

神嘗祭とは、その年に収穫された新米を、まず天照大御神に捧げる儀式。人よりも先に、神様に感謝の気持ちを込めて新穀を奉るのです。これは「斎庭稲穂の神勅」に由来し、稲作そのものが神から授かった尊い営みであることを示しています。

この神事は、古代から現代まで脈々と受け継がれてきました。飛鳥時代には国家祭祀として位置づけられ、奈良時代以降は天皇が伊勢神宮に幣帛使を派遣。明治以降は宮中祭祀として、天皇陛下が賢所で親祭されるようになりました。

そして、こんなエピソードも残っています。

昔の人々は、神嘗祭が終わるまで新米に手をつけなかったのです。どんなに美味しそうでも、どんなに待ち遠しくても、「まずは神様に召し上がっていただいてから」という敬虔な心がありました。新米を炊く香りが家々に広がるのは、神嘗祭の後。その一粒に込められた感謝と祈りが、食卓を清めていたのです。

しかし、戦後の日本では、この神嘗祭が祝祭日から外され、徐々に人々の記憶からも遠ざかっていきました。そこには、日本の神道や伝統文化を希薄化させようとする力が働いていたとも言われています。

だからこそ、今こそ私たちは神嘗祭という日を心に刻みたい。新米をいただくこの季節、ただの収穫の喜びではなく、神々とのつながりを思い出す機会にすることが、日本人としての誇りを守る一歩になるのではないでしょうか。

この祭りを忘れることは、戦後に骨抜きにされてきた日本の精神を、自らさらに薄めてしまうことにつながります。静かで尊い神嘗祭の祈りを、私たちの暮らしの中に取り戻していきたいものです。
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