野々宮君の実験室
あくる日はいつもよリ暑い日であった。午後四時頃‘弥生町の門から入って行った。
小使に来意を告げ、後をついて行くと建物の中は世界が急に暗くなる。暫くすると瞳がようやく落ち着いて‘辺リが見えるようになった。左の方に戸があって、そこから野々宮君の顔が出た。額の広い眼の大きな仏教に縁のある相である。ちぢみのシャツの上に背広を着ているが、背広は所々にシミがある。背はすこぶる高い。やせているところが、暑さにつリあっている。
三四郎は何分よろしく願いますと挨拶した。部屋の中には大きな樫の机が置いてある。
その上に太い針金だらけの器械が乗っていて、傍らの大きなガラスの鉢には水が入れてある。向こうの隅を見ると、三尺くらいの御影石の台に福神潰の缶ほどの複雑な器械が載せてある。野々宮君は笑いながら光線圧力の実験方法や装置について説明してくれた。しかし、光線の圧力や、その圧力がどんな役に立つのか全くわからなかった。丁寧に礼を述べて穴倉を上がって表に出た。世の中はかんかんと陽が照っている。三四郎は照リつける日に背中を向けて‘左の森の方に入って行った。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250410