
解説 「われは我が愆(けん)を知る。我が罪は常に我が前にあり」
「旧約聖書詩篇第五十一篇三節に見える言葉。
イスラエルの王ダビデがアモンの戦いに全軍を出動させた時に、部ドのウリアの妻バテセバの美しさに魅せられて彼女を王宮に入れ、妊娠させた。そしてウリヤを故意に最前線に出して戦死させ、バテセバを妻としたが、神はこれを怒って預言者ナタンを送り、ダビデの罪を糾弾し神の裁きを告げた.詩篇第五十一篇はダビデがナタンの前で罪を告白し、神の許しを乞うた時のものとされ、悔い改めの詩篇として知られる」
(岩波書店「漱石全梨』第五巻『.―-四郎』より)
美禰子は、「愛」を説く耶蘇教の信者であった。美禰子が、教会の前で三四郎に最後の別れを告げた言葉「我が愆…… 」とは、「愛なき結婚」をした神への背信と、「愛していた三四郎」を裏切った罪に対する懺悔と悔い改めの言菜であった。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250713
愆:けん、あやまち