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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

西洋人の助けなしで、「蒸気船」を回航させる 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より

西洋人の助けなしで、「蒸気船」を回航させる

蒸気機関の次に、蒸気船のほうを整理してみます。薩摩藩が蒸気機関で苦心惨愴してから程ない1853年にアメリカのペリー提督が2隻の蒸気船・旗艦サスケハナ号とミシシッピ号、2隻の帆船・サラトガ号とプリマス号
を引き連れて伊豆の下田に出現しました。
ペリーの軍艦は欧米では旧式でしたが、日本を威喝するには十分でした。江戸幕府は、立派な姿のサスケハナ号が時代遅れであることを知りません。大砲が江戸城に向けられているのを見て、幕府は震え上がります。たちまち「攘夷」、つまり「外敵を打ち払う」という「元気は良いが時代錯誤の考え」を捨ててしまいました。
そして、アメリカに不平等条約を結ばされると同時に、幕府は長く親交のあったオランダに助けを求めることを決意。同年の10月に、長崎奉行の水野筑後守忠徳に命じて、長崎出島のオランダ商館長ドンクル・キルシュスに協力と援助を頼んでいます。それを受けてオランダはさっそく翌年の1854年8月に、ちょうどそのとき東洋にいたオランダ東洋艦隊の軍艦スームビング号を訓練用に日本に回航させました。
この豪華な献上品はオランダ国王ウィレム三世から徳川将軍に宛てたものでしたが、当時のヨーロッパ情勢からは納得できるものでした。なにしろ、ヨーロッパではスペインが覇権を失った後、イギリスとオランダの間で、四次にわたる「蘭英戦争」が、1652年に始まって1784年まで続いだのですから、イギリスヘの対抗心も加わりオランダは日本に対して好意的でもあったのです。
幕府はこのオランダの好意に応じてスームビング号を「観光丸」と命名して、長崎奉行所の一部に伝習所を造り、これを長崎海軍伝習所とします。伝習所の総監理に幕府の永井尚志(ながいなおゆき)をあて、オランダのヘルハルト・ペルス・ライケン元艦長と下士官、水兵、機関兵22名を教官として雇い、蒸気船操舵の教練を始めました。
また、伝習生が幕府と諸藩から送り込まれました。初期の伝習生には後に明治の英傑になる人材が輩出しています。





『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)

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