西へ西へと進軍するアメリカの狂気
さて、1900年までにアラスカ、グアム、フィリピンのラインまで西進してきたアメリカは、日本と中国にぶつかることになります。当時の太平洋の西には、北からシベリア(ロシア領)、日本、支那、山東半島と太平洋中部の諸島(ドイツ領)、フィリピン(アメリカ領)、インドシナ(フランス領)、インドネシア(オランダ領)、ニューギニア(ポルトガル領)、そしてオーストラリアとニュージーランド(イギリス領)となっていましたので、すでに衰退していたフィリピンをスペインから奪取した後、ヨーロッパの国と戦争するのは適当ではないと判断して、日本と支那にその矛先を向けてきました。
しかし、この時期はアメリカが西進しようとするにはあまり良い時期ではありませんでした。日本は日露戦争に勝ち、台湾と朝鮮、千島列島を領土にし、さらに第一次世界大戦でドイツに勝ってドイツ領を手に入れます。
第一次世界大戦では、日本はアメリカやイギリスと連合してドイツとオーストリア、オスマントルコと戦ったのですから友軍です。ともに戦った友軍と直ちに戦争に入るわけにはいきませんし、その理由も存在しませんでした。
また支那は、清王朝が滅んで中華民国、中国共産党、それに各地には軍閥が割拠していて混乱の中にありました。
そこでアメリカはまず支那に進出し、上海に租界地を得て、そこを橋頭堡(きょうとうほ)にして主として経済活動で支那に影響力を発揮していきます。
つまり、アメリカから東アジアや東南アジアを見ると、ロシア、イギリス、フランス、オランダなどは歴史的にも現実的にも「同盟国」ですから、その植民地をとるわけにはいかず、ヨーロッパ人が占領していない土地と言えば、日本と支那ぐらいでしたが、いずれもハワイとかフィリピンなどと比較すると近代国家で力も強く、すぐに侵略することは困難な情勢でした。
ここからが極めて複雑な情勢になっていくのですが、アメリカは支那に進出しようとして日本と利害が衝突します。支那も沿岸側が中華民国という自由主義の国、奥地に毛沢東が率いる中国共産党がいて、裏でソ連とつながっていましたし、アメリカ国内でもソ連の国際組織とも言えるコミンテルンのメンバーが暗躍していました。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251027