第3話:東方のエルサレム —— 10部族が運んだ「生命の樹」
物語は、数千年の時を遡り、西アジアの砂塵の中から立ち上がる。
アッシリアの捕囚となり、歴史の表舞台から忽然と姿を消した「イスラエルの失われた10部族」。彼らが向かったのは、地の果て、日の昇る東の国だった。彼らが携えていたのは、黄金の宝ではない。 宇宙の真理を象徴する「生命の樹(セフィロト)」の叡智と、万物の中に宿る**「大いなる一つ」**への至誠の祈りである。
それは、特定の姿を持った「唯一神」を崇めることではない。 森の木々、名もなき草花、駆け抜ける動物、そして天空を統べる太陽……それら万象のすべてを構成する**「ひとつの大いなる生命(いのち)」**、その全体性を敬うこと。
一は全であり、全は一。 ゼロという無限の空(くう)の中に、すべてが含まれ、同時にすべてがゼロへと帰していく。 この「宇宙の数理」を体現していた彼らが辿り着いた先は、既に縄文という精神文明の中で、万物に神を見出し、共生という至高の調和を実現していたこの日本列島だった。 両者の出会いは衝突ではなかった。それは「至誠」と「調和」という、同じ根源を持つ魂同士の、壮大なる合流だったのである。
しかし、歴史の編纂者はこの事実を「神話」の檻に閉じ込め、無味乾燥な「記紀」の行間に埋もれさせた。なぜか?
もし日本人が、自分たちの無意識の振る舞いの中にこそ**「世界を調和へと導く根源的な智恵」**が宿っているのだと自覚してしまえば、現代の「搾取と対立の構造」が根底から崩壊してしまうからだ。
日本人は、自分たちが特別だなどとは思っていない。 ただ、八百万の神々(万物の生命)と共に生きることを日常とし、至誠を尽くすことを当たり前のこととしてきた。だが、その「当たり前」こそが、かつて失われた部族が命懸けで東へと運び、この列島で守り抜いた**「宇宙の数理」の体現**そのものだったのだ。
だが、もしこの「当たり前の調和」が、ある意図を持って組織的に破壊されているとしたらどうだろうか。
私たちが「平和」だと信じ込んでいるスクリーンの裏側で、一万年の記憶を上書きし、私たちのポテンシャルを根こそぎ奪い去ろうとする巨大な「設計図」が存在する。
かつて、あの凄惨な炎の中で崩落した巨塔も。 志半ばで露と消えた、至誠の政治家の最期も。 それらは決して、断絶した個別の事件ではない。
次回、第4回。 「灰燼に帰した嘘 —— 9.11と、奪われた自尊心」
物語は、太古の沈黙を破り、現代の燃え盛る業火の中へと飛び込んでいく。
続く

「三原嘉明(旧:yymm77、yymm88)」#至誠の覚醒 #三原嘉明 #縄文