第一高等学校、東京帝国大学という本郷文化圏で物語は進められる
第一高等学校、東京帝国大学という本郷文化圏では仲間の会話に、西洋の思想、文学、哲学、宗教、絵画等がしばしば話題に上り、難しい英語(横文字)が飛び交ったり、当時日本ではまだ知られていない思想家、文学者、哲学者、宗教家、画家などの名前も出てくる。知識レベルとしては極めて高い文化圏である。
このような環境で、美禰子が結婚相手を考えると兄・恭助の友人で、年齢的(共に三十歳)にも、学歴的(共に東京帝国大学卒)にも同じ「野々宮宗八」が最も相応しいと思うのは自然の成り行きである。事実、彼女は野々宮に思いを寄せており、自分に目を向けさせようと様々な誘いを掛けていた。広田先生は、美瀧子が教会に通い、西洋流の愛情で結ばれた結婚こそ神の教えだと信じているので、自分の愛する好きな相手と結婚するだろうと観察していたが、陰では「心の乱暴な女」と言っていた。広田先生もまだ、女性があまり自由と自我を主張しすぎるのは良くないという古い考えである。
しかし、耶蘇教徒の美禰子にすれば、日本式に親が一方的に決める愛のない結婚こそ、神への冒涜であると思っている。
さて、このような人間関係の中で物語は進行するが、漱石の小説では、最初からこのような関係は明かさない。三四郎が上京の汽車の中で、出会う髯の男(広田先生)も、大学構内の池のほとりで逢う「池の女」(美禰子)も名前は伏せてある。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250330