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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

活き活きとしていた、日本の農民・漁師・職人たち 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より

活き活きとしていた、日本の農民・漁師・職人たち

さらに、彼らの書いたものをもう数例紹介します。
「火を求めて農家の玄関先に立ちよると、すぐ男の子か女の子が慌(あわ)てて火鉢を持ってきてくれた。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰をかけるように勧め、母親は丁寧(ていねい)に挨拶をして、お茶を出してくれる。
家族全員が私の周りに集まり、子供っぽい好奇心で私をジロジロ見るのだった。子供にお土産をあげると、『ありがとう』とそろって何度も繰り返してくれた。そして可愛い頭を下げて優しくほほえんだが、社会の下層階級の中でそんな態度に出会うのは、ほんとうに驚きだった。
そして、しばらくして家を出て私が遠ざかって行くと、道のはずれまで送ってくれ、ほとんど見えなくなってもまだ『さようなら、またあした』と叫んでいる。あの友情のこもった声が今でも聞こえる」(『スイス領事の見た幕末日本』ルドルフ・リンダウ著/1858/より長崎の農村について)————ここの記述は歴史家・渡辺京二さんの書籍からご本人の了解を得て使っています)
この文章からも当時の日本の農村がいかにゆったりし、友情にあふれていたかがわかります。でもそれは、農村だけに限りませんでした。

女流旅行家、イライザ・シッドモアは、日本の漁村をこう描写しています。
「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。漁師のむすめたちが脛(すね)をまるだしにして浜辺を歩きまわる。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。
子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主にときどき、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そして、おかずは細かくむしった魚である。こうした光景総(すべ)てが陽気で美しい。誰も彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ」

さらに、江戸の職人はどうだったでしょう。

「若干の大商人だけは、莫大な富を持っているのにさらに金儲けに夢中になっている。しかし、普通の人々は生活に必要な範囲で働き、生活を楽しむために生きていた。労働それ自体がもっとも純粋で激しい情熱をかきたてる楽しみだった。職人は自分の作るものに情熱を傾け、その仕事にどれくらいの日数を要したかではなく、作品が満足できるようになったときに、仕事を止めるのである」(スイスの遣日使節団長アンベール
の記述から)

これらの江戸末期の描写は、鎖国が解かれ来日した欧米人たちの感想のごく一部です。本当はもっと多くを紹介したいと思いますが、ページの制約上このくらいにしておきましょう。読者のみなさんも機会があったら、ぜひ、江戸時代に日本に来た外国の人が書いた本をお読みいただきたいと思います。日本がいかに、世界の国々と違っていたかを実感できます。





『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250830
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