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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

決して悲観的ではなかった、開戦時の日本人 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より

決して悲観的ではなかった、開戦時の日本人

そして、ついに大東亜戦争が始まります。
事実として戦争に負け、310万人の日本人が死んだ後になって見ると、日本は戦争に負けたのが当然のように思いますが、当時の日本人は決して悲観的ではありませんでした。
それはその時代の一流作家が開戦の報道を聞いて、次のように述懐していることでも
わかります。まず保守的な作家、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の開戦の思いを示します。

「12月8日はたいした日だった。僕の家は郊外にあったので十一時ごろまで何も知らなかった。東京から客がみえて初めて知った。『たうたうやったのか』。僕は思はずさう云った。
それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戦の大詔がラジオを通して聞こへてきた。僕は決心がきまった。内から力が満ちあふれて来た。『いまなら喜んで死ねる』と、ふと思った。それ程僕の内に意力が強く生まれて来た」

日本がアメリカを相手に開戦したことを知人から聞いた武者小路実篤は「体の中から力があふれて来た」「今なら喜んで死ねる」と感想を記しています。特に武者小路実篤は若い頃にヨーロッパで有色人種に対する差別を受けた経験があり、人間として名誉を傷つけられるより死を選ぶという思いがあったのでしょう。
次に、個性的な作家として有名な太宰治(だざいおさむ)の開戦の思いを示します。

「しめきった雨戸のすきまからまつくらな私の部屋に光のさし込むやうに、強くあざやかに聞こへた。二度朗々と繰り返した。それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変はつてしまった。強い光線を受けて、体が透明になるやうな感じ。あるひは、聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい、胸の中に宿したやうな気持ち。日本も、けさから、ちがふ日本になったのだ」

太宰は開戦の詔勅を聞いて、「人間が変わった」「体が透明になり、て胸の中に飛躍しています」と記しています。
追い詰められ戦争に突入したのに、「不幸を喜んでいる」という感じです。二人の大作家が日本の不幸、自分の危険を「喜んでいる」ようにみえる理由として次の二つが考えられます。
じわりじわりと周辺から締め上げられ、何をしても現状を打破できないという閉塞感が、開戦ということで破滅をするかも知れないけれど、先が見えない状態よりは良いと感じたというのが―つの普通の見方でしょう。
もう一つは、白人の秩序が崩れていくという大きな歴史の流れの中にいた日本人、その主役を演じている日本人が歴史の必然を感じて、それに身を委ねたのではないかということです。すでに白人の秩序が崩れて新しい時代になったときに生きている現在の私たちと、当時、白人の秩序の中で繰り返しプライドを傷つけられていた日本人では「戦争」というものに対する感覚が異なっていたのは頷けることです。
この二つの理由の中で、著者は第一の見方より、後者のほうが事実だったのではないかと考えています。
フランス革命でギロチン、ロベスピエール、そしてナポレオンが登場したのも歴史というもので、そのナポレオンが戦争を途中で止めることができず、ロシア遠征で派遣軍60万人のほとんどすべてを失ったり、さらに復活をかけたワーテルローの戦いでも武運つたなく敗れたのは、それらのこと一っひとつがやはり「歴史の必然」だったと思うからです。
私たちは大きな歴史の流れの中にいて、当時の日本人は、戦争に入るときには誰から教えてもらったわけでもないのに、「日本が有色人種の独立をかけて戦争する運命にある」ことを知っていたのです。
戦後の高度成長のときには、別に深く考えずに朝早くから夜遅くまで働き、もっとも効率的な生産方式を目指して改良を加えてきました。そして、高度成長の時期が終わると、「あの頃は、なんであんなに夢中になって働いたのだろう?」といぶかるのですが、それが歴史の必然というものと思うのです。





『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251104
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