
池の端に出る
三四郎は池の傍に来てしゃがんだ。非常に静かである。電車の音もしない。
三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時、東京よリも日本よリも遠くかつ遥かな気持ちがした。
しかし‘暫くするとその気持ちのうちに薄雲のような淋しさが一面に広がってきた。
熊本の高等学校にいる時分も、これよリ静かな龍田山に上がったリ、月見草ばかリ生えている運動場に寝たリして、全く世の中を忘れた気分になったことはある。けれどもこの孤独の感じは今初めて起こった。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250411