欧米人が感動した、日本社会の平等さ
日本は、いわゆる大航海時代が始まる頃から、.「鎖国」という政策をとりました。この政策は世界でもまれに見るほど素晴らしいもので、この鎖国政策と日本がアジアの中でも極東に位置していたために、多くの国が未発達のままアーリア人の植民地になったのに対して、日本だけはなかなか侵略することが難しかったのです。
ロシアなどは江戸中期からかなり日本に接近していましたが、それでも鎖国政策が厳密に守られていたので、日本の海岸に迫ってもつけいる隙を見つけることができないままに幕末を迎えました。
やがて日本がアメリカのマシュー・ペリーによる「黒船来航(軍事的な江戸急襲)」で鎖国政策を維持できなくなると、一斉にアーリア人国家(ヨーロッパとアメリカ)が入ってきましたが、その人たちが見た日本という国は、それまで見てきたアジアの諸国とまったく違う驚愕(きょうがく)すべき国だったのです。
まず日本の指導層の生活について、オランダの技師で日本の造船や操舵(そうだ)を指導したホイセン・ファン・カッテンディーケが、「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢修・贅沢(しゃしぜいた<)に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備えつけの椅子、机、書棚などの備品が―つもない」と述べています。
この文章では「東洋諸民族と異なる」という表現をしていますが、さらには「我々の国(ヨーロッパ)とはまったく違う」というニュアンスを含んでいます。
フランスにはヴェルサイユ宮殿などに見られるように、王侯貴族は贅沢の限りを尽くした宮殿に住んでいましたし、アジアでもインド王室、支那の天子なども庶民とは大きく違う豪華な宮殿で贅沢な生活をしていました。
それが当たり前と思っていたヨーロッパの人たちにとっては、東洋の端まで来てみると、そこには「非常に高貴な人々の館(殿様とお城を示す)」ですら「簡素、単純きわまるもの」でまった<贅沢な感じがしない、座敷は畳と板敷きで、奢修なテーブルやシャンデリアもなく、庶民とほぼ同じようなところに、同じように住んでいることにビックリしたのです。贅沢な生活をするのが良いことだと思っていたヨーロッパ人は、日本の
殿様の生活ぶりを見て「なんで殿様になったの?そんな生活なら、いざというときに腹を切らなければならない殿様など辞めたら?」という感じを持ったことでしょう。
その彼らが日本の田舎に行ってみると、今度はまたヨーロッパと逆の風景を見ることになり、二度ビックリしたのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250828