本郷会堂での逢瀬
会話の中で、美禰子が少しずつ口にしたのは、結婚後、夫が関西に転勤となったので、四年ほど関西で暮らしていたこと、最近また東京本社勤務に戻ったので、今は東京にいることなどがわかった。暫くまた沈黙が続いた。
美禰子は時計を気にするように
「三四郎さん、今度の日曜日空いてます?」
と聞いた。
「ええ、学校は休みですから‥‥‥」
と三四郎は答えた。その時の三四郎の口ぶリは、まだ独身生活のように見えた。美禰子は
「では、教会にいらっしゃいませんか?」
と思い切って誘ってみた。
「どこですか」
美禰子は「本郷です‥‥‥」
ときっぱリと言った。
三四郎は、昔、美禰子と別れたあの教会を思い出した。懐かしい本郷に行くのも久し振りだ。三四郎は自分も教会に行ってみようと思った。
初めて教会に行った時、三四郎は美禰子が昔さかんに話していた聖書の言葉を思い出した。しかし、聖書を読んだリ、牧師の説教を聴くにつれて、今では、違和感はなかった。
その後、三四郎は毎週、教会に通うようになった。
三四郎はやがて、耶蘇教に入信した。二人は、教会で神に祈リを捧げた。賛美歌を歌った。
二人の逢瀬は、毎週教会での数時間であったが、二人にとっては満たされた至福の時間であった。もはや二人はストレイシープではなかった。
それは「天上の愛」と言えるものかも知れなかった。教会を出ると彼等は、下界の生活に戻った。美禰子は自活のために教会で子供たちに英語を教えることにした。
「愛はすべてを忍び、すべてを耐える‥‥‥愛は寛容であり、慈悲深い ‥‥‥」 (新約聖書より)
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250720