本当に、無駄で見意味な戦争だったのか
日本としては、ロシアとの戦争に勝ち、ドイツとの戦争にも勝ち、中国とはゴタゴタしながらも―――やっと独立を保って、世界中を白人が支配する中で頑張っていたにもかかわらず、石油と鉄鉱石がこないとなってはどうにもなりません。
飛行機は飛ばせない、船は出航できないということになりますから、日本の軍隊は動けません。そうなればすぐに植民地にされてしまいます。なにしろ、当時は日本以外のすべてが植民地だったのです。
そこで「御前会議」が開かれました。そのときに海軍の軍令部総長だった永野修身が天皇陛下にこう進言したのです。
「政府に聞いてみると、現在のままだと石油も入ってこない、鉄鉱石も入ってこないのでどうにもならず、日本は間違いなく破滅するといっている。しかし軍隊のほうはアメリカ、イギリスと戦って勝てる見込みはない」と。
それはそうです。当時のアメリカとイギリスは世界で1、2番目の強い国です。しかも第一次世界大戦後には国際的な軍縮会議が行われていて、たとえば軍艦の数ならアメリカが10、イギリスが10、日本が7などと決められていました。他にも条約はありましたが軍艦の数だけでみてもアメリカ、イギリスと日本では20対7なのですからこれは勝負になりません。
戦わなくても滅びる、戦っても滅びる。では、そのときにどちらを選ぶのか。
永野総長は「我々が頑張って戦って滅びたほうが、子孫は立ち上がる勇気が出るだろう。したがって開戦を許してください」と言ったのです。
そうすると天皇陛下は、明治天皇が日露戦争を開始するときに詠んだ御歌「四方の海みなはらからと 思う世になど波風のたちさわぐらん」をうたわれました。その意味するところは「人はみな兄弟だと思うのだけれども、どうして波が立ち騒ぐのかどうして戦争になるのだろうか)」ということです。
最終的にこの御前会議では、「戦争をしなくても滅びる。戦争をしても滅びる。しかし同じ滅びるのならば戦って滅びたほうが日本人にその精神が残るから、その精神によって日本を再興することができる」と判断されました。
そのときにそう判断したことに対して、今になって間違っているといったところで意味がありません。そのときにはそう判断したということです。
そして、戦いに突入しました。
そうすると、日本は真珠湾攻撃で勝ち、マレー半島で勝ってシンガポール要塞を占領し、イギリスの旗艦であるプリンス・オブ・ウェールズなどを撃沈させるという上々のスタートを切ることができました。
しかし、長期戦となると‥‥‥。日本が1国で、アメリカ、イギリス、オランダ、中国、そのころフランスはナチスドイツの関係で大した力は発揮できませんでしたが、それらを敵に回してなかなか勝つことができません。そうして4年数力月の孤軍奮闘の末に、日本は降伏をしたのです。
アメリカ軍が敗戦後の日本に上陸してきました。そして、アメリカ軍は自身の占領政策を正当化する目的で、「日本が悪い、日本が悪い」という宣伝をして戦後の日本をデザインしてきました。それについてはアメリカからすればあたりまえのことですから、文句を言っても仕方がありませんが。
しかし、「東京裁判」は酷かった。「裁判」という名前がついているだけで、勝者が敗者を裁く場にすぎませんでした。いつの時代も、戦争というのは勝った者が負けた者の首を刎(は)ねるのです。
そうしてアメリカの占領政策が進められる中、日本人の多くが敗戦の結果に対して負の感情を持ちはじめます。
「隣国に迷惑をかけた」「310万人の犠牲者を出してしまった」「そのとき領土にしていた朝鮮も手放し、台湾も手放し、満州国もついえ、千島列島も手放し、樺太も手放した」、要するに「無駄で無意味な戦争だった」と思うようになったのです。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060714 P202