大東亜戦争後、GHQの占領政策(裏にはコミンテルンの日本解体・消滅計画が見え隠れする)によって進められた、諸改革によって、日本は根本的に解体され、食糧政策が、米主体から麦へ強制された。結果、日本の癌による死亡率は、戦後伸び続け、戦前は癌死の割合が世界的にも低かったのだが、世界でも目に見えて、高くなっている。
食生活を改変させた 大東亜戦争後の洗脳政策
当時、米国が問題にしたのが、米国の小麦を日本人の胃袋に押し込まなければならないのに、日本人は「米」を食べているということだった。そのために〝回し者〟が使われた。いつの時代にも回し者として使われるのは学者である。
1958年、慶應大学の教授が『頭脳』という本を書いて大ベストセラーになった。内容は、なんと「米を食うとバカになる」、だから米国の小麦を食べなくてはいけないというものだ。同書にはこう書いてある。
「大人は運命だと思ってあきらめよ。子供たちだけは米国の小麦を食べて、頭を良くして、米国人やソ連人と対等に話ができる人間にしてあげなければ示しがつかん」と。そんな馬鹿なと思うが、みんな信じてしまって、朝日新聞の「天声人語」をはじめ、大手メディアがこぞって推奨した。
米国の小麦を推奨する流れは、「粉食奨励」をスローガンに1956(昭和31 )年から日本全国を走り回ったキッチンカー(栄養指導車)でも助長され、とどめは学校給食だった。
朝鮮戦争で余った米国の小麦の不味いパンと、牛も飲まないような脱脂粉乳によって、筆者は学校給食が嫌になったけれど、全体としては、これほど短期間に伝統的な食文化を一変させてしまった民族は世界史上でもほとんど例がない。ここからどんどんコメの消費が減少し、日本の農政がガタガタにされていったのだ。

仕掛け人は米穀物メジャー
余剰穀物を日本人に食わせるという政策は、米国政府のバックにいた巨大グローバル穀物商社などの働きかけが大きい。
小麦の対日工作の主役は、〝小麦のキッシンジャー〟こと、米国西部小麦連合会会長だったリチャード・バウムである。キッチンカーは国民の栄養水準を高めるために日本政府が実施したという触れ込みだったが、じつはアメリカの小麦を宣伝するために自らが仕掛けた事業であったと
バウム自身が述べているのだ。彼は厚生省「日本食生活協会」に資金供与してキッチンカーを走らせただけでなく、農林省「全国食生活改善協会」を通じて日本の大手製パン業界の育成に尽力し、文部省「全国学校給食連合会」にも資金供与している。
さらに、日本の肉食化キャンペーンの仕掛人、クレランス・パームビー(米国飼料穀物協会)が「日本飼料協会」を発足させ、テレビ広告、東京都「肉まつり」、畜産農家への技術援助などを展開し、エサ穀物としてのトウモロコシや大豆の需要を喚起した。
日本の食生活の洋風化は、米国の余剰穀物処理戦略として仕組まれたものであった。このあたりの詳細は、西原誠司(鹿児島国際大学教授)の論文「
穀物メジャーの蓄積戦略と米国の食糧戦略」などに詳しい。
Reneissance 13 2023年1月16日 初版発行
ダイレクト出版社刊 より抜粋