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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

大東亜戦争後、植民地は解放された!『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より

大東亜戦争後、植民地は解放された!

最後に、日本の戦争と大東亜共同宣言がもたらした歴史的事実をもう一度、整理してみましょう。

〔第一の視点〕
日露戦争以来、日本が戦ったのは、ロシア人、イギリス人、フランス人、オランダ人、ドイツ人と白人側についた清王朝と中華民国です。
最近の中国、つまり中国共産党と日本はほとんど戦っていません。ですから、「抗日70周年」で中国が「日本と戦って勝利した日」というのは歴史的にはまったく事実と反します。

〔第二の視点〕
日本は世界が戦争に巻き込まれるのは、第一に人種差別、第二に力の強いものが力の弱いものを攻めるということであることを指摘しました。パリ講和会議では「人種差別撤廃」を、大東亜会議では「道義による国際秩序」を訴えました。

〔第三の視点〕
日本は自国が白人から経済封鎖を受けたことをきっかけにして、自ら白人と戦うことを決意しました。戦いの最中でも、アジアの国々を次々と独立させていきました。
日本が白人と戦って一時的にせよ白人を追い出したので、戦後、独立を果たした主な国は、ビルマ(ミャンマー)、マラヤ(マレーシア)、インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)、インドネシア、フィリピン。
シャム(タイ)はイギリスとフランスの間で外交的にやっと独立をしていて、戦争中は日本の同盟国でしたが、戦後、完全な独立を果たしています。

〔第四の視点〕
日本がイギリスなどのアジア、中東地区の軍事力を弱めた結果、独立できた国は、インド、パキスタン(イギリス領インド帝国から独立)です。国が大きいという意味では、アジアの大国と言えば支那とインドですが、そのうち、支那の清王朝やその後の中華民国や中国共産党は白人側についたのですが、インドは終始、イギリスと敵対する独立運動を展開して多くの犠牲を出していました。
そのインドも大東亜戦争の後、イギリスから独立することができたので、日本の功績を認め、戦争後に行われた東京裁判(何度でも書きますが、本当は裁判と呼ぶべきものではなく、「東京リンチ」とするべきです。しかし、日本のマスコミが「東京裁判」という戦勝国の名称を使っているので、本著では不本意ですが裁判という名前を使用しています)で、東條の絞首刑に反対しています。

〔第五の視点〕
オスマン・トルコの支配下にあった中東地域の国は、戦後しばらく白人支配の下で苦しんだのですが、結局、次々と独立していきます。シリア、イラク、ヨルダンなどがそれらの国に相当します。
また、さらに軍事的には日本がイギリスの東洋艦隊を撃滅し、東洋の基地だったシンガポールを陥落させたことによってイギリスは広大な植民地を維持できなくなりました。
それに加えて、大東亜共同宣言で「人種差別撤廃」を掲げたので、アジア、アフリカの諸国は思想的な基盤を持つことができました。

〔第六の視点〕
アフリカ諸国では1951年から1960年代にかけて続々とヨーロッパの植民地を脱して独立国家になります。日本が白人に対して戦いを挑み、部分的にせよ勝利したことによって、世界の「人種差別」と「力の政治」は大きく後退し、その勢いはアフリカまで及んだのですから、すごいことです。





『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R07202511013
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