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偽善家ど露悪家 気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より

偽善家ど露悪家

先生は、

「御母(ぉっか)さんの言うことはなるべく聞いて上げなさい、この頃の青年は自我の意識が強すぎていけない。我々が書生をしている頃は先ず国とか社会とかみんな他人本位を考えることが第一であった。つまリ教育を受けたものは偽善家が多かった。今は自己本位の我意識が強く露悪家ばかリである」

と言った。美禰子もよし子も一種の露悪家である。それはそれで甚だ痛快で、天真爛漫としている。
しかし、これが度を越すとまた不便を感じるようになリ、また利他主義が復活してくる。世の中は絶えずこれを繰リ返して際限がない。我々はそういう風に暮らしていくものと思えば差し支えない。偽善と言うのは自分の気持ちに正直でないことだが、露悪は正直である。だから正直に言えない時代の昔の教育を受けたものはみんな気障(きざ)であった。また偽善には、人からされて不愉快に感ずるものもある―–というのが先生の説である。
さて、一般論は別として美禰子の場合はどうだろう。正直か正直でないか知リたいか、三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではないかと疑いたくなる。
自分に対する素振(そぶり)を考えて見るとどうもわからない。
先生はまた思い出したように言い出した。
この二十世紀になってからは妙なものが流行っている。利他本位の内容を利己本位で充たすという難しいやり方である。偽善は本来、人に善く思われたいために行なうものだが、その反対に、人の気分を害するために行なう偽善がある。表面的には善を子なうのだが相手は気分を害する。つまリ、偽善の仮面を被って、相手をいやがらせるという正直なところが露悪家の特色である。
極めて神経の鋭敏になった文明人種が尤も優美に露悪家になろうとすると、これが一番よい方法である。三四郎は、この理屈を標準において美禰子のすべてを測ってみた。しかし‘測リきれないところが大変ある。

気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より  R0720250530
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