二人の指導者に対する異なる評価の原因は何か
ナポレオンは、ワーテルローの戦いに敗れても死刑にならず、セントヘレナ島に流されだけです。その地でも、尊敬された処遇を受けています。幽閉の身とはいえ、食事などの生活の世話をされ、すべては整っていました。そして死後は、パリのオテル・デ・ザンヴァリッドという非常に立派な建物の中心に祀(まつ)られています。
対して、東條英機はどうでしょう。東條自身は、東京裁判では毅然とした態度をとり、処刑されるまで実に立派でした。しかし日本国民は、アメリカとの戦争に負けると、情けないことにアメリカに尻尾を振り、自分たちとともに戦って苦労した東條を裏切ったのです。東條の評価は低いばかりではなく、彼の遺骨は愛知県の山の中にある「殉国七士廟」(じゅんこくななしびょう)に東京裁判で処刑された六人とともに眠っています。
実に情けないことですが、フランス人と日本人が自分たちの指導者に対して、かくも異なる評価と待遇を行った理由はいったい何なのでしょうか。
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この本では特に「序章」を設けて、本著に書かれている中心的な部分を整理して示しました。歴史的事実は精密に、正確に整理する必要があるのですが、ナポレオンと東條英機のようにあまりにも異なる処遇を受けてきた二人について、最初から一っひとつの歴史的事実を詳細に整理するより、まず初めに何を問題にしなければならないのか、何が大きく異なるのかを俯廠(ふかん)するのが適当だと考えたからです。
第1章から第6章では、序章で展開した大きな歴史の動き、二人が人類に貢献した内容、そしてその結果と社会の反応について書いています。仮に、読者の方が強い先入観を取り去って第1章から読まれれば、まさに真実の歴史が、本当の指導者が見えてくると思います。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250804