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丹青会の会場で 気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より

丹青会の会場で

会場に着いたら看板を見て一種異様な感じがした。三四郎は絵の鑑別ができないので中に入ったら黙っていた。美禰子が、

「これはどうですか」

「これは面白いじゃあリませんか」

と話しかけるが‘絵を解しない三四郎の返事は張リ合いがない。外国を旅行した兄妹の画の前で、

「ヴェニスでしょう」

と言ったら、これは三四郎もわかった。しかし兄妹で二人で出展しているものを美禰子が、

「兄さんの方がよほど旨いようですね」

と言ったら、三四郎には通じなかった。美禰子は

「一人と思っていらしたの」

と驚き、

「 随分ね‥‥」

と先に行ってしまった 。三四郎は、立ち止まったままもう一遍ヴェニスの掘割を眺めている。先へ抜けた女は 、この時、振リ返ったが、三四郎は自分の方を見ていない。三四郎は絵に気を取られていて、美禰子が先に歩き出したのに気が付いていない。ちょっと、寂しい思い‥‥。しかし三四郎のことがちょっと気になる。
美禰子は、足をピタリと止めて三四郎の横顔を熟視していた。その時、

「里見さん」

と出し抜けに大きく呼ぶ声がした。二人は、事務室の方で原口と、遠くにいる野々宮が立っているのを見た。
美禰子は、野々宮を見るや否や、二、三歩後戻リして、三四郎の前に来て、人に目立たぬくらいに自分の口を三四郎の耳へ近寄せて何か囁いた。三四郎は何を言ったのかわからない。美禰子はそのまま二人の方に引き返して 、もう挨拶をしている。
野々宮が三四郎に

「妙な連れと来ましたね」

と言うと、即座に 美禰子が

「似合うでしょう」と答えた。

美禰子は 、また何か耳元で三四郎に噺いた。今日は二度目である。今度は野々宮に、

「似合うでしょう」

と熱いところを見せるおどけた演技であったが、内心では野々宮に対する別れの挨拶であった。野々宮は何も言わなかった。くるリと後ろを向いたら、畳一枚ほどの大きな肖像画がある。

「どうです、ヴェラスケス(注1) は。もっとも模写ですかね」

(注1)D・ヴェラスケス〈DiegoVelazguez〉(一五九九~一六六〇 )
スペインの画家。宮廷画家となり、初めカラヴァッジオ風のリアリズム、後にヴェネツィア派の影評を受けた色彩と明快な空間構成で、主に王侯の肖像両を描いた。作に「プレダ聞城」「ラス・メニーナス(女官たち) 」がある。
この章で、原口が説明しているヴェラスケスの模写とは、和田英作(一八七四~一九五九)が、パリ留学から帰国後まもない明治三十六年に第八回白馬会展に出展している「マリアナ公女」ではないかと言われている。漱石もこの展覧会には行っている(第2章解説参照)。





と原口が説明した。原口は、来年の準備にも忙しい。美禰子の肖像画を描き上げて、次の展覧会では、この
場所に掛けるつもリである。原口は、美禰子の肖像画を、このヴェラスケスの所に掛けるらしい。ヴェラスケスの模写は三井の画であると説明をした。

気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より  R0720250610
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