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yymm77

日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

世界中を植民地化した白人たち

世界中を植民地化した白人たち

1942年のコロンブスのアメリカ大陸発見やバスコ・ダ・ガマのインド航路発見、マゼランの世界一周などがあったことはみなさん学校で勉強したと思います。
このことが何をもたらしたかというと、ルネッサンス以降に学問や科学が飛躍的に発達して国力があり余っていたヨーロッパ諸国が次々と世界各地へ進出することになりました。
そうしてスペイン、ポ ルトガル、オランダ、イギリス、フランスといった国が非常に強くなっていきました。地図をみればわかるのですが、それらの国は南のほうから北のほうへ大西洋をなぞった海岸線のようなところにあります。つまり、海に向 かって開いていて、船さえあればすぐに出航できるだけの力のある国が順番に世界 へ乗り出していったのです。

最初はスペインとポルトガルです。コロンブスもバスコ・ダ・ガマもマゼランも、スペインやポルトガルの船で世界へ出ていきました。
スペインとポルトガルは、マヤ文明やインカ文明のあった中南米大陸 、それからアフリカ、アフリカの喜望峰を回って東へ行ってインドやインドネシアなど東南アジアそしてその一部が日本へも来ます。ポルトガルの船が日本へ来て、鉄砲を伝えたのは織田信長が力を伸ばす少し前のことでした(1543年、九州の種子島に鉄砲伝来)。
その後(1549年)、船でやって来たのがポルトガルの宣教師たちでした。キリスト教もそのときに日本へ伝わるわけです。
続いて1600年ぐらいになるとオランダも船をどんどん出し始めて、日本にもオランダがやって来ます。ポルトガルよりはオランダのほうが若干安全と考えた徳川幕府は、長崎に「出島」をつくり、オランダの船を受け入れる政策を行いました(いわゆる「鎖国」。出島では1636〰39年まで対ポルトガル貿易。1641〰1859年まで対オランダ貿易が行われた)。

日本が普通の国であったならすぐに植民地にされていたでしょう。当時、インド はイギリスの植民地になり、インドネシアがオランダの植民地になり、インドシナ半島がフランスの植民地になり、フィリピンがスペインの植民地になっていました。
日本もボルトガルやオランダの植民地になっていたとしても不思議はないのですが、その当時、日本の軍事力は極めて強いものがありました。
応仁の乱(1467〰1477年)が終わり、足利家の室町幕府がだんだん衰退してきて、これに代わって織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という 強い力を持つ武将がどんどん頭角を現していた時代だったからです。

ィンドなども本当は鎖国したかったはずです。しかし、鎖国したくてもその武力がなく、国を開けざるを得ませんでした。そして結局、イギリスの植民地になったのです。
ヨーロッパ人の植民地になるというのはどういうことでしょうか。
ィンドでは、有望な若者が出てくると、イギリス兵が来てその若者の両手首を斬って、手首塚というところへ投げ入れたといいます。そうすることによって、有望な人材が出てくることがなくなって、安心して支配を続けられるからです。
こうした非道が典型的な植民地支配のやり方なのです。





『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060710 P190


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