世界が驚いた、日本軍の強さ
プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを中心とするイギリス東洋艦隊はシンガポールを出て、日本軍が敷設した魚雷を避けつつ東に向かいましたが、その艦隊を日本の偵察機は必死になって捜索していました。
日露戦争のときに、バルチック艦隊がはるばる北海を出て大西洋を回航し、いよいよ日本近海に来たときにも日本の偵察船が必死になってバルチック艦隊の捜索を行い、遥か彼方の海上を航行する艦隊を発見、それが日本海海戦の圧倒的な勝利の―つの要因になりました。
マレー沖海戦では航空隊の偵察機がイギリス東洋艦隊を発見、直ちにベトナムの基地から日本の雷撃機、水平爆撃機が出撃して東洋艦隊の上空に達して爆撃を開始します。
ゆっくり海上を航行する戦艦を上空から水平爆撃するのですから、爆弾は簡単に命中するように思いますが、なにしろ上空3000メートルぐらいから豆粒のように見える戦艦の甲板をめがけて「エイヤッ!」とばかりに勘を頼りに引き金を引くのですから、ほとんどの爆弾は海に落下してしまいます。つまり当時の爆撃では、戦艦に当たるのは一種の幸運であったのです。
でも、武運は日本に傾き、500キロ、800キロという大型爆弾が巨大な二隻の戦艦に当たり、最初にレパルス、次にプリンス・オブ・ウェールズが撃沈されてしまったのです。
東洋の小さな国が独力で製造した小さい航空機が、七つの海を支配した大英帝国の旗艦、不沈艦と言われた戦艦を二隻とも短時間で撃沈したのですから、攻撃した日本軍もビックリしましたし、それ以上にイギリスが衝撃を受けました。
プリンス・オブ・ウェールズが撃沈されたという報に接した当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルはしばらく絶句し、その後、自室に引きこもったと伝えられています。
イギリス東洋艦隊の旗艦の撃沈と、それに続くイギリスのシンガポール大要塞の陥落は世界に大きな衝撃を与えます。そしてそのイギリス軍の降伏交渉に臨んだ山下奉文大将の威厳のある態度が、当時の白人に与えた影響ははかり知れないものがあります。
ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰をまわり、インドに到達したのが1498年ですから、それから452年後、イギリスにコテンパンに負け続けていたアジア民族が初めてイギリスに本格的な戦闘を海と陸で行い、いずれも大勝利をおさめたのです。
「信じられない事実」が目の前で現実のものになったのです。特に、マレー軍司令官の山下が、小さくなって頭を下げるイギリス司令官の前で、「降伏するのか、しないのか」と迫っている写真もこの衝撃をさらに大きいものにしました。
後に、山下将軍が連合軍により絞首刑にされたのも、戦後の1948年に開催されたロンドンオリンピックに日本の参加が認められなかったのも、いずれもマレー作戦で敗北した衝撃があまりに大きかったので、イギリスもアメリカもフェアな態度を取れなかったことを示しています。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251106