アーリア人の侵略性残虐性
アーリア人の第一次の侵略は、紀元前2000年ぐらいに起こったもので、カスピ海の北から南に下り、今のチグリス・ユーフラテス河畔、イスラエルからイラン、アラビア、アフガニスタンに及ぶ中東の地域に進出し、そのほとんどを制圧しました。私たちが四大文明の一つと言っているチグリス・ユーフラテス河畔にあったセム族の国をアーリア人が侵略したのです。
第二次の侵略は、東はインドから、西はヨーロッパ半島に至る東西に展開したもので、インドはガンジス川から少し内部まで、また現在のヨーロッパはそのときから数世紀にわたる移動ですっかりアーリア人のものになりました。
アーリア人の侵略性、拡大の指向はその後も続き、マケドニアのアレキサンダー大王の東方とエジプト進出や、ローマのシーザーの時代の世界帝国の建設などがありますが、いずれもその指導者が「極悪人」と呼ばれずに「英雄」とされているのは、アーリア人が歴史書を作ったからです。
自分が困ってもいないのに、少しでも良い生活をしたいと言って、どんどん他人のところに進出して大量の人を殺害するのは、日本の道徳観念から見ると英雄どころか、極悪人と言って良いでしょう。でも、日本はヨーロッパ史観なので、日本の道徳にこれほど反しても「英雄」として歴史で学びます。
そして第三次の侵略は、日本の歴史では「大航海時代」「新大陸の発見」と言われる時代です。ですが、このような命名はアーリア人にとって有利すぎるでしょう。本来は「海洋略奪の開始」とか「アメリカ原住民の虐殺」と言わなければなりません。
最近のことはこの中に入れていませんが、アメリカが起こしたベトナム戦争、ソ連とアメリカのアフガニスタン紛争、イラク戦争、そして米英仏露が空爆をしているシリア紛争は、第四次のアーリア人の進出として今後の歴史では整理されるようになるかも知れません。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250823