まずは、「石油」の確保
アメリカが日本向けの石油と鉄の輸出を止めたので、日本軍はまず南に進出して石油を確保しなければなりませんでしたから、ナチス・ドイツがフランスを占領して愧儡のビシー政権を作ったことに呼応して、仏印進駐を行いました。
マレー半島には錫・ゴムなどの資源がありましたし、ボルネオ、ジャワ島などの南方の島ではノドから手が出るほど欲しかった原油が産出していました。
大東亜戦争というと、日本ではハワイのアメリカ軍基地の急襲がまずは頭に浮かびますが、それは主力の戦線ではなく、フィリピンを植民地にしていたアメリカ軍が日本の南方進出を邪魔してくることが予想されるので、その予防にやった戦闘です。
ハワイを急襲した日本の連合艦隊はいったん千島に終結して、そこから南下しました。
このとき、日本軍の動きはアメリカの暗号解読によってわかっていて、アメリカ政府の中枢は、アメリカの伝統的開戦プロセス(自ら戦争を起こしたように見せず、あくまで戦争が起こった原因は相手にあったということにする)を目指していたのです。ハワイは防衛をせず、そのかわり虎の子の空母部隊だけをハワイから沖合に待避させていました。
それに対して、マレー方面は、イギリス軍が防衛していたのですが、すでにアメリカとイギリスの力の差は歴然としていました。戦闘の結果から言えば、大東亜戦争開戦時(1941年)では日本がもっとも強く、それからアメリカ、さらに少し離れてイギリス、さらに弱体だったのがオランダ軍でした。
マレー作戦はコバルトに強襲上陸した日本陸軍が快進撃を続け、シンガポールに近づいていました。
一方、海軍はイギリスの東洋艦隊を最初に撃滅するために、まずマレー半島のイギリス軍航空基地を爆撃し、迎撃に飛び立たないままにほとんどの航空機を地上で破壊しました。
日本は最終的にアメリカの爆撃機による攻撃で負けてしまいますが、戦争の最初の頃は日本のほうが航空機の重要性に注目して、戦艦同士の戦いより先に制空権をとることに力を注いでいたのです。
日本海軍にも「大和」「武蔵」などの戦艦があり、戦力はイギリスと互角でしたが、日本は戦艦同士の海戦に航空機を参加させることが勝負を分けると考え、空から魚雷を発射して軍艦に大きな打撃を与える雷撃機、高度が高い位置から500キロ、800キロという大型爆弾を戦艦に甲板めがけて落下させる水平爆撃、さらには爆撃機の護衛、相手戦闘機の撃墜などでは当時、世界最高の性能を持つ零戦も参戦できる体制になっていました。
九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機など、開戦時には日本の航空機が圧倒的に有利だったのです。
イギリスはマレー戦争の最初に航空機を破壊され、イギリス東洋艦隊は航空機の援護が期待されない状態ではありましたが、マレー半島東側に出て、日本の補給路を断ち、日本海軍の艦船を沈めるためにシンガポールを出撃しました。
このとき、イギリス軍の内部では、すでに航空機が破壊されたのだから出撃は無理だという意見もありましたが、総司令官は反対意見を押さえて出撃しました。
でも、当時の日本軍に対する白人の評価は、「東洋の小さな国の戦闘機など、我々の戦闘機や戦艦に影響が及ぶものではない」という観測でした。
事実、日本軍のハワイ攻撃の第一報がシンガポールに届いたときに、イギリス軍人は、アメリカの正規な軍港を日本軍が急襲しても日本がやられているだろうと考えていたのです。
当時のヨーロッパ人の見方では、ハワイを急襲した日本軍(当時は空軍というのはなかったので、日本のハワイ攻撃は海軍によって行われた)がアメリカ海軍の基地を破壊し、戦闘機のほとんどを地上で撃滅し、さらには戦艦数隻を使いものにならないようにするなどの大きな戦果を上げるはずもなかったのです。
しかし、事態はアメリカやイギリスが予想していたのとはまったく違い、日本軍のほうが桁(けた)違いに強かったというのが歴史的な事実でした。ここで整理しているマレー作戦ばかりではなく、緒戦ではアメリカのフィリピン守備隊もすぐ日本軍の攻撃を受けて追い出されています。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251105