●明治時代の女性結婚事情
明治の近代化は国策もあって、思想や生活様式の上では鹿鳴館時代にも見られるようにかなり西洋化は進んだが 、一般庶民の生活習慣はまだまだ旧態依然たるものであった。若い娘は、それまでの慣習で二十歳までには嫁に 出されるのが通例で、二十四、五歳になるともう適齢期は過ぎたと見られていた。
明治三十一年七月新たに施行された明治民法典では、家父長相続制度がより厳格に定められ、相続は長男のみ、次男以下、女性は相続できないことになった。特に女性に対する差別は、男尊女卑、男女不平等や個人の蒻厳に反する様々な規定が盛り込まれ、西洋化とは逆行するものであった。
一方、西洋の自由恋愛思想が入ってきていたので、教育を受けた女性たちは恋愛結婚に憧れる風潮があった。
しかし、現実には家父長制度のもとに、親は、娘が適齢期になると親が決めた相手に早<嫁がせるというのが一般で、若しこの時期を逸して、娘が売れ残ると大変だという気持ちが強かった。
加えて明治三十八年に終結した日露戦争では多くの若い男性が戦死して、女性の結婚市場は逼迫していた。
一部の女性は、そのような風潮に反発して、自分で生きていくために、職業を持つ婦人も出てきていたが、一般には、まだまだ女性が一人で自立して生きることは極めて難しかった。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250328