日中との衝突と「日本討伐」への転換:アメリカの戦略的転回
結局、アメリカは次の侵略目的を支那から日本に切り替えて、支那やコミンテルンと歩調を合わせて日本を締め上げて行きます。でも支那は面積も人口も大きいのでアメリ力は利権をむさぼることができますが、日本相手になると「利権」ではなく、単なる征服欲になったので、アメリカの態度は歪んできます。
後に、アメリカは日本本土(太平洋戦争)と朝鮮(朝鮮戦争)に手を伸ばし、続いてフランスが撤退したインドシナ(ベトナム)に向かってベトナム戦争を起こしますが、第二次世界大戦前のインドシナは友軍のフランス領だったので、インドシナには向かうことができなかったのです。
支那への進出をあきらめたアメリカは、「日本討伐」の計画を練り始めます。
まず、海軍ではヨーロッパ方面の仮想敵国のドイツ海軍があまり強くなかったので、日本を押さえるべく、ロンドン軍縮会議などで「アメリカ:イギリス:日本」の三大海軍国で戦艦の保有トン数に制限をかけたり、日本が開発した空母をアメリカも建造したりし、さらにはハワイに強力な軍港を造って太平洋方面の海軍力の強化に乗り出しました。
そこに満洲事変と日本が満洲国という愧儡政権を作ったので、それを材料に国際的に日本を追い詰めていきます。
アメリカにとって幸いなことに、日本は無謀にも白人の秩序を破って満洲国は建国するし、国際連盟は脱退するし、共産主義の国際組織であるコミンテルンを排斥し、当時白人の秩序に従っていた支那と敵対するという状態でした。
だから、圧倒的な力を持っていた白人社会で日本の評判を落とすことはかなり容易な状況だったのです。
このときの日本は、中華民国や中国共産党より長期的な戦略に欠けていたと言うべきでしょう。中華民国や中国共産党は「今は白人の世界だから白人には抵抗せずにうまくやっていこう」というスタンスでしたが、日本は「人種差別撤廃」を旗印に、「アジアのことはアジアで」と「大東亜共栄圏」をぶち上げていたのです。
日本が真正面から白人の秩序に対抗するのなら、有色人種の諸国民と連帯するとか、いろいろな策謀を巡らさなければなりませんでしたが、日本人はそれほど腹黒くないので「正義は勝つ」とばかりに正面からぶつかって行ったのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251028