大東亜戦争と大東亜共同宣言こそが、その後の世界の植民地を一掃した原動力
これはフランス革命の後のナポレオン戦争で、南アメリカの諸国がヨーロッパ支配から独立していったのと同じです。
日本が白人と戦ったことによって起こった「世界全体の変動」によって、有色人種の地位は飛躍的に向上しました。そして、戦争が終わってから7年目の1955年、アフリカ諸国が独立していくさなかに第一回バンドン会議(アジア・アフリカ会議)が行われます。
日本は自らが行った偉大な功績に気づかず、細かいことを考え、戦いに負けたショックもあって、ビクビクしながらバンドン会議へ望んだのですが、日本代表団が行ってみると大歓迎を受けました。そのときの日本代表だった加瀬俊一外務省参与が次のように語っています。』
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカヘの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と慮(おもんぱか)っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあのとき出した『大東亜共同宣言』が良かった。大東亜戦争の目的を鮮明にち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっばり出席して良かった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」
まさに、大東亜戦争と大東亜共同宣言こそが、その後の世界の植民地を一掃した大きな力になったことを歴史が証言したことになったのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R07202511014