学生集会
与次郎は、今夜の会て、自分たちの大学の文科が不振てあること、その挽回策として適当な日本人教師を大学に一人入れること、皆が賛成して誰がよいかということになったら、その時に広田先生を持ち出すと言う。その時、三四郎は口添えをして極力広田先生を打賛しろということであった。集会で衆議一決の暁には総代を選んで、総長の所に行く。
そこまて今夜中に運ばないかも知れないが、それは構わないと言う。三四郎は大体において賛成の意を表したが、そのやリ方は少し細工が過ぎて面白くないと思った。
正門を入リ構内に入ると、満天の星空を眺めて与次郎は、
「つまらんなあ‘我々は。空を眺めているとこの運動がいやになった。...... 君は女に惚れたことがあるか。女は恐ろしいものだよ」
と突然、別のことを言い出した。
「明日もいい天気だ。運動会は仕合せだ。綺麗な女が沢山くる。ぜひ見に来るがいい」
学生集会所に入ると、もう学生は集まってあちこちで固まって話している。暫くして幹事の呼びかけで食事が始まった。
三四郎は、熊本で赤酒ばかリ飲んでいたことや、牛肉屋で牛肉か馬肉を見分けるために壁に叩きつけたことなどを思い出した。隣に座った大人しい男と話していると、三四郎は出身地のことを聞かれた。
「君はどこの高等学校ですか」
「熊本です」
「熊本は随分ひとい所だそうですね」
と言われた。
「ダーター・ファブラ‥‥‥」
(注2)などと言っている。向こうの方ては与次郎が、高い声で相手がこの言葉を聞く度に笑っていると、益々得意になって、
「ダーター・ファブラ、我々新時代の青年は‥‥‥」
とやっている。三四郎の筋向いで色白の品のいい学生が、笑いながら
「悪魔が乗リ移っている」
と冗談半分にフランス語を使って言った。しかし聞こえなかったと見えて、与次郎たちは、ヒールのジョッキを揚げて乾杯をしている。隣の学生は、
「以前、あの人に淀見軒でライスカレーをご馳走になった」
と言った。やがてコーヒーが出て、一人が立つと演説が始まった。今夜の会は単に懇親のためだけでなく、一種重要な影響を生じる。我々は、古き日本の圧迫、新しい西洋の圧迫にも耐え得ぬ青年である。我々は西洋の文芸を研究するものであるが、囚われたる心を解脱せしめんがための研究である。文芸は人生の根本義に触れた社会の原動力である。社会は激しく動きつつあるが、我々も団結して文芸を発展させる必要がある。さっとこのような大演説であるが、集まった学生たちは大喝采であった。すると与次郎が突然立って、
「ダーター・ファブラ、大学にとうしても新時代の青年を満足させる人間を引っ張ってこなくちゃ。―—西洋人じゃ駄目だ」
と叫んだ。すると与次郎の隣の者が
「ダーター・ファブラのために祝杯を挙げよう」
と言い出した。
「もう一つ! 今度は偉大なる暗闇のために―――」
と誰かが言った。三四郎はダーター・ファブラの意味がわからなかった。三四郎が
「ダーター・ファプラーとは何のことだ」
と聞くと、与次郎は「ギリシャ語だ」とだけ答えた。
(注2) ダーター・ファブラ(dete fabula)(ラテン語)
他人事ではないの意。ホラティウスの「風刺劇」の中の言葉。与次郎は、この言菜の意味を知らなかった。また、「ギリシャ語」というのは誤りで、本当はラテン語である。(岩波書店『漱石全集』第五巻『三四郎』)。ここでは、言葉の意味より、学生が新しい単語を習うと意味もなく使いたがるが、景気づけのために規制を上げる言葉ではないか。
気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250524