東京裁判は「裁判」ではなく、「集団リンチ」
戦争というのは、「勝つ」ことによって目的が達成されるものではありません。大東亜戦争で日本は敗北しましたが、それは同時に勝利でもありました。「人種差別撤廃」を戦争目的と考えるなら、戦闘の勝敗は、実は何の影響もなかったのです。
つまり、日本は先の大戦で約310万人の犠牲を出して敗北したので、東條英機首相をはじめとした戦争指導部や軍部は、戦後、厳しい批判に遭いました。「日本の繁栄」だけを考えれば、あるいはそういう見方もあると思いますが、結果的に日本は「人種差別」という”人類の悪”を撤廃するために戦ったのですから、その尊い犠牲だったとも言えるでしょう。
フランス革命が多くのギロチンの犠牲、ロシア戦役の60万人の犠牲が必要だったように、「人類はみな平等」というものすごい変革を成し遂げる目的を持った大東亜戦争では、ガダルカナルで玉砕した兵士、東京空襲で焼け焦げとなった母と子、広島・長崎の原爆でケロイドになった少女もまた、「偉業を成し遂げるために犠牲になった人たち」だったのです。
その意味で、後に詳述しますが、大東亜戦争の開始を決定した御前会議で永野修身(ながのおさみ)軍令部総長が「戦いは負ける可能性が高いが、戦って負けても魂が残る」という趣旨のことを発言したのは正しかったのです。
東條の活動は、実はめざましいものがありました。もちろん戦時の首相として国内の統治が極めて困難であることに加え、シンガポール戦線ではインドとの協定、フィリピンやビルマ、インドシナの独立、大東亜会議の開催などに奮闘努力し、日本のために最大限の働きをした素晴らしい首相でした。
多くの日本人は、東京裁判という勝者によるリンチの結果と、それに続く占領軍の宣伝に惑わされていますが、当時、インドのラダ・ビノード・パール判事は東京裁判自体に反対し、A級戦犯に対する無罪判決の意見書を提出しています。戦争の結果という周囲の雰囲気におもねることなく、自分の信念を貫いたパール判事の姿勢は、その後の日本の知識人と比べてみると比較するのが恥ずかしくなるほど高潔です。
でも、大東亜戦争の敗戦のショックで、東京リンチ(東京裁判)の結果は日本社会に大きな影を落としました。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250803