イギリスの「王室」と日本の「皇室」は大違い!
もう―つは、イギリスの「王室」と日本の「皇室」の違いです。
もともとのイギリスの王室は、イングランド、スコットランド、アイルランドの王であったスチュアート朝です。スチュアート朝の最後の王様はアン女王です。彼女は子供をたくさん産んだのですが、すべて早世して跡継ぎがいませんでした。
イギリスに適当な王位継承者がいなくなったので、当時の神聖ローマ帝国、現在のドイツの有力な貴族だったハノーバー家のジョージ一世がイギリスに来て即位し、現在のハノーバー朝となりました(その後、イギリス流の名前が良いと言うことで「ウィンザー朝」と名前だけは変わっています)。
王様が絶対的な権限を持つのではなく、王権が制限される「立憲君主制」はイギリス発祥ですが、それはドイツから来たジョージ一世が英語をほとんど話せなかったことによると言われています。言葉が通じないので王としての統治ができず、その結果、議会が実権を握って、立憲君主制が始まったというわけです。
一方、日本で天皇の跡継ぎがいないときに、大陸(たとえば朝鮮や支那)から天皇がやって来るということは「日本の常識」で考えられるでしょうか。そんなことはあり得ません。日本語を話せない外国の王族が日本を統治するなど考えられないことでしょう。
天皇は「日本民族」を象徴する存在ですから、「日本の中の皇族」を天皇に立てること以外はとうてい受け入れられないのです。
この二つの例からわかるように、世界の島の中で古くから「国」があったのは日本とイギリスですが、実はイギリスは日本のように「―つの国」というよりも、西ヨーロッパという地域にある諸国の王室が支配する「―つの地域」でした。
現在、「EU」と呼ばれるヨーロッパ共同体が生まれるのも、このような歴史的背景があるからです。もともとヨーロッパ、特に西ヨーロッパの民族はアーリア人で、ドイツのゲルマン、イギリスのアングロ・サクソン、そしてスウェーデンやノルウェーなどのノルマン系の人たちはほとんど同じ民族です。フランス革命前のヨーロッパに、日本の常識で考えるハッキリとした―つの「国」というものがなかったことは、次頁の地図(図1) を見てもわかります。


『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250809