「人権宣言」は日本人にとっては当然のこと?
フランス革命が成功すると、フランスの周辺国はフランス革命の直接的な影響と、さらにその思想(人間はみな生まれながらに平等という思想)が自分の国に蔓延(まんえん)するのを恐れて、フランスに「干渉」をするようになりました。
王政の国々が、フランス革命を怖がったのは当然です。それはそれまでの秩序、つまり「王様の秩序」が崩されるからです。
この感覚が世界と日本では少し違うようです。もともと人間には王様も庶民もなく、長い歴史の中で社会が歪み、身分制度が発生し、それは時に酋長(しゅうちょう)だったり、王様や皇帝であったりしたのですが(日本では殿様など)、特に日本では身分制がハッキリしていなかったので、日本人は心の中では「どうせ、人間はみんな同じ」という感覚も強かったのです。
江戸時代、参勤交代の行列を作って殿様が江戸に向かうとき、街道筋に土下座して殿様の行列が通り過ぎるのを見送るのが庶民でした。駕籠に乗った殿様が周囲を武士や侍従に守られて土下座する庶民の前を行くのですから、これほどハッキリした身分制度はありません。
しかし、実際はそれほどでもなかったようです。土下座している庶民たちは「とりあえず土下座しているが、あの若殿様も小さなころは俺たちと同じじやんちゃ坊主で、ただの人間だ」と思っていたと記録に残されています。
人間は表面を繕(つくろ)うことができても、誰もが生まれて死に、好き嫌いがあり、セックスをしてトイレにも行きます。当時から日本の庶民は、「偉い人は人間的なことを他人に見せないだけで、同じことをしている」ということもよく知っていたのです。
ですから、ひとたびフランス革命の「人権宣言」のような「ごくごく当たり前のこと」がおおっびらに宣言されても、日本人はかえって当惑してしまいます。人間社会はアンデルセンの描いた「裸の王様」のようなもので、真実がわかってはいても、とりあえずは社会のしきたりに沿っているというだけ。そんなことは、「建前」と「本音」の国、日本社会では常識でした。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250819