米英仏露のシリア空爆は、数千年にわたって繰り返される歴史
2015年にアメリカ、、イギリス、フランス、ロシアによるシリアの空爆、そしてその報復としてのパリの銃撃事件がありましたが、シリアの人にとってみれば、数千年前からそんなことが繰り返されているのです。
つまり、カスピ海の北方に住んでいたアーリア人がギリシャに進出して、そこに住んでいた人を追い出し、それに押し出されるような形で当時の地中海にいた「海の民」がシリア地域に上陸して、セム族と混血になったのです。それがシリア人です。
だから、今回の米英仏露の空爆はシリア人にとって数千年前の悪夢がまたやってきたという感じです。歴史的な知識がなく、パリの銃撃事件のニュースを見るとシリアの人のほうが悪いように見えますが、そこには数千年の怨みがこもっているのです。
いずれにしても、アーリア人はアジアの日本などの海洋国家の民族と違い「自分の国」や「自分の土地」はありませんし、「国境」もないので、自分たちが必要となったら、ともかく他人の土地を奪い、作物や女を略奪するというのが「普通のこと」だったのです。
日本人は自分の国、自分の土地で、ほぼ単一民族でしたから、アーリア人の行動はまったく理解できません。彼らは、まず武力で相手をたたきつぶすか、あるいは蝙して奪い取ります。自分の土地がないので、相手を殺したり、土地を奪うのは「普通のこと、神の命令」という感覚でしたから、「平和が尊い」などということは建前ではあっても、本心ではありませんでした。
もし、平和が尊いということになると、土地もない、国もないのに指をくわえて隣の国の繁栄を見ていなければならないのです。それは彼らにとってはかえって理解できないことです。「正義のために剣を取れ(自分たちの命のために剣を取れ)」というのはアーリア人の思想でもあり、さらにはアーリア人に侵略された人たちの叫びでもあったのです。ついに19世紀には世界中のほとんどがアーリア人の支配下に置かれました。
かくして3回にわたって拡大を続け、もっとも、今のヨーロッパ人はアーリア人なので、「アーリア人の侵略」という言葉は使いません。だから日本のようにヨーロッパの歴史が指導的な役割を果たしている国では、ヨーロッパ人の進出(侵略)は「大航海」「発見」「文明化」などという名前を使い、アーリア人以外の国の進出は「侵略」という用語を使います。
本著でも、もっとも重要な歴史認識なので、少し詳しく書きます。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250822