日本は西欧の侵略ということをほとんどしたことがない
ところで、ここで重要なことを書いておかなければなりません。それは、ヨーロッパの歴史観を中心にして、日本には「日本侵略論」(日本が他国を侵略した)が一般的ですが、実は日本は歴史的にヨーロッパでいうところの侵略というのをほとんどしたことがありません。この日露戦争もその一つです。
世界地図を広げて見てもらいたいと思いますが、ロシアという国はもともと現在のウクライナのキエフを首都とした白人国家で、後にモスコーに首都を移し、ウラル山脈の西に位置していました。現在のロシアの領土になっているシベリア、中央アジア、満洲の北方、樺太や千島列島などは、有色人種の土地で、モンゴル人、トルコ系民族、漢民族、アイヌ民族、イヌイットなどが居住していました。
ロシアがウラル山脈の西で静かに暮らしていれば、日露戦争も起こらなかったのですが、日本では江戸中期にあたるロシアのピョートル大帝の頃、ロシアは東へ東へと進出し、ついに日本海まで到達したのです。
歴史に「もし」はありませんが、もしロシアが日本と同じように「自分の土地で暮らす」という思想だったら、もちろん日露戦争は起こっていません。それどころか、ロシアが領土を拡大するにしてもバイカル湖ぐらいで止まるとか、ウラジオストクで満足しても、またさらに支那の清王朝が普通の国で、ロシアに無抵抗に満洲鉄道の敷設や旅順に軍港を造ることを認めなかったり、さらに李氏朝鮮も普通の国で、ロシア軍の領土内
通過を認めなければ、日露戦争は起こっていません。
日露戦争が起こるためには、ロシアがウラル山脈を越えて東方を侵略すること、それが日本海までに及ぶこと、さらには清王朝や李氏朝鮮が自国民を守らないという特別な国であったこと、などの”偶然”が必要でした。
これだけハッキリしているのに、日本の歴史家はヨーロッパ史観によっているので、日本を「軍事国家」と呼び、その中に日露戦争も入っているのは驚きです。ここまで事実を曲げて解釈して学校で教えると、日本国民が錯覚するのは当然のことです。
モスコーに首都を置くロシアがウラジオストクまで来てさらに東方を伺うということは、言いかえれば日本が支那、チベット、パキスタン、インド、イランなどを占領してトルコ付近まで進出することを意味していますから、ロシアの東方進出こそが世界の秩序を乱すものとして糾弾されるべきなのです。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250923