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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

4) 戦争、社会変革、そして幸福の多面性

4) 戦争、社会変革、そして幸福の多面性

つまり、貴族の幸福を我々が今論じているのかなと……。 我々が幸福であるとかいうのは、その当時、働かなくてよかった貴族の幸福。これが、今の幸福論議なのかもしれない。つまり、我々が幸福かどうかと考えるのは、第一に我々に暇があるかどうかということが問題である。 では、暇があったときにその暇をどう潰すかが幸福なのか、そうではなくて毎日、家族と朝ごはんを食べ、みんなで「さあ行ってこよう」と学校に行ったり、仕事場に行ったり、家庭では一所懸命洗濯をしたりして、夕方また家族が帰ってきて、そこで家族でご飯を食べ風呂に入って寝るということ自体が幸福なのか。 幸福感とは人間の基礎的な生活の中に存在するのか、それとも暇なところに存在するのかということで、幸福を考えるという意味では人類は二つ大きな課題を持っていることになりますね。 動物には幸福感がないかもしれませんが、動物は何が幸福かといえば、おそらく敵があまりいなくて家族順調に過ぎて、餌も一応、豊かに与えられて、そのまま人生を終わる。これが幸福だとすると「暇な幸福はない」ということになりますね。 それから戦争が非常に多かった時代は、戦争で命を落とすのがずいぶん多かったわけです。この戦争で命を落とすというのは幸福なのかというと、これは幸福とは言えないでしょうね。 例えば、中国などは度々大虐殺が起こるわけです。例えば、お亡くなりになった岡田先生のいろんな研究によると、中国の漢の時代の終わり、紀元200年くらいですが、漢民族の9割が殺されたということです。9割が殺されることになりますと、どういう生活をしても幸福とは言えないわけですね。 これは17世紀にウェストファリア条約ができてからしばらくヨーロッパ自体を考えれば平和だったんですが、それが民主主義になり、メディアが敵愾心を煽ることもあって19世紀の終わりからまた戦争が打ち続くという時代に入るわけです。 そうすると、例えば30年戦争におけるドイツの荒廃、それから第一次世界大戦後のドイツのひどい姿、それから第二次世界大戦における2000万人〜3000万人の死者を出したといわれるソビエト、こういうのは幸福と言えるかどうかという問題がありますから、戦争のある時代に生まれた幸福というものが、またもう一つあるような気がいたします。その意味では今から私たちが検討する幸福は少なくとも日常生活、生きて行く上での幸福なのか、それとも暇な人生をどう生きるかという幸福なのか、それとも離婚しないというような男女の間のこと、それから子供が順調に育つという家庭内の幸福なのか、家庭内以外に幸福という概念は存在するのかと。こういったことですね。 それから病気などもそうなんですが、病気というのはなぜ人間に存在するのか? 実はあの動物にも病気が存在するんですが、かなり人間とは様相が違うんですよ。そういった場合、つまり死が横に近接してあるときの幸福感と、死が横に近接していないときの幸福感というのもまた考えなければならないのではないかと思うんです。
いずれにしても紀元前700年における大きな変革、それから1800年近辺における大きな変革ですね。この二つと幸福論というのは切っても切り離せないものではないかと思います。 それに加えて、イエスキリスト、お釈迦様、ムハンマドなどの宗教家の幸福感というものがそれにダブってくるように思います。

『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版)  20250131


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