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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

3)第一次産業革命(?)と1800年から始まる第二次産業革命が「暇」を作った

3)第一次産業革命(?)と1800年から始まる第二次産業革命が「暇」を作った

そうなると人間が二階級に分かれますね。つまり、暇な人たち、これはほとんど働かずに1割から2割ぐらい働いて、あとは8割が暇になりますから、そこで何かしなきゃいけないと考える。ここでいわゆる幸福は何かというのが出てきたんではないかと思います。 例えば、ちょうどその頃、宗教も出てきますし、ギリシャのソクラテスとかなども出てきます。中国では孔子とか老子とか出てきますね。その前はほとんどいないんですよ。まぁ、インドが少し早いといえば早いんですけれども、それでも思想家という点では、やはりお釈迦様前後からですね。 ですから、だいたい紀元前500年くらいから、人間はものを考え始めるわけです。そして「俺の人生はこれで良いのか?」などをいろいろ考えるんです。宗教も出てきて神様もいるとか、こうなってしまうことになります。 そうすると、そこで幸福という概念ができてきたのかもしれませんね。 それまでの文献などがほとんどないので、なかなか文献上当たるということは難しいんですけれども、しかし、それはお釈迦様が王様の子であり、ソクラテスが奴隷が90%くらいのアテネの町に住んでいたわけで、孔子も別に田畑を耕したわけじゃなく王様の相手をしていた。というところから見れば、現在、我々が整理しているその人たち思想家の最初の活動というのは、むしろ特権階級のものであって、多くの人たちはまだ幸福には関係がなかった可能性もあるんですね。 やはり相変わらず鍬で畑を耕していた。以前と違うのは、自分が耕したものを自分だけで食べていたのに、今では自分が食べる作ったものの2割とか5割とかを暇な人に取られてしまうという、そういう悲惨な状態になり、相変わらず働かされるということがあるわけです。 これはあの産業革命で起こったことと同じですね。産業革命で起こったことは、機械ができて今まで14時間労働だったものが1時間で同じ量ができるということで、みんなが最初喜んだんですが、蓋を開けてみると、つまり機械化が進んでみると、実は14時間は同じで14倍の量のものを作るようになったのはそういうことなんです。労働はむしろ昔よりかは自分で決められないぶんだけ過酷になったというのが産業革命だったわけです。 そういった産業革命が紀元前700年ぐらいにも起こっていて、それでソクラテスやお釈迦様や孔子様が生まれて、そして思想とか宗教が誕生した。そしてそこで富裕階級、暇な階級の幸福ということだけが、一応できるわけですね。 これは、もしかするとですよ……。もしかすると次の産業革命、1800年と言っていいんですけれども、細かく言いますとジェームズ・ワット1789年とかリチャード・トレヴィシック1803年とかいろいろ出てきますが、一応、人々がもう一度格段に楽になるのが1800年なんですね。それまではほとんど同じ状態が続くわけです。

『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版)  20250130

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