4)集団への貢献と命の終わり
三番目は集団に貢献するということで、例えば哺乳動物は一夫多妻の場合が多いんですけれども、はぐれオス、ボス争いに負けたオスはすぐ死ぬ、もしくはメスは生理が終わったらすぐ死ぬ。こういったものは集団に役立たなくなったら、もうその命を自分から捨てる。つまり、死のスイッチが体の中で入る。 このときを見ていますと、どの死に方もそうなんですけれども、人間のように苦しんで死ぬということはないんですよ。 人間でも本当は苦しんで死なないんじゃないかと思いますが、以前メールをいただいた中に極めて苦しんで命を落とした方のご紹介がありました。私はそれを読んで、ボス争いに負けて死ぬはぐれオスの死に方、それから生理が終わって死ぬメスの死に方、それから鮭の死に方。こういった事象を見ていますと苦しんで死ぬんじゃないんですよ。体の異常が起こって死ぬわけでもないし、病気になって死ぬわけでもないんですね。自分の命が尽きたときに死ぬ、まさに天寿で死ぬわけですね。 そうすると動物が生まれて、例えば鮭なら海に行って一生を過ごし、川に登ってきて、伴侶を探してセックスをして子供のために命を自分で捨てるという人生を見ていますと、やはり動物は、基本的には命以外の目的はないんじゃないか。したがって天寿を全うすることが幸福の第一条件ではないかというわけです。 では、これが「人間のときに天寿を全うするということだけでは幸福はもたらされないのか」ということですね。
天寿を全うする以外に幸福がもたらされないとすれば、いったい我々が追求している幸福というのは命とか健康とかいうものではないということになるので、もしかすると全部が幻想かなと思わないでもないわけですね。 例えば、力強くて悠々と餌が獲れるようなライオンの場合は、餌を獲るとき以外の時間には何をしているの? というとゴロゴロ寝ているわけですよね(笑) 寝ているということになりますと、それは幸福を追求しているとも思えないんですね。 つまり、私がここでお話をしたのは、幸福というものが人間という動物の本質的なものであるならば、もし、人間以外の動物にも幸福というものがあるならば、餌を獲るのに余裕があるようなライオンは幸福を目指してゴロゴロ寝ていないで何か行動するはずなんですよ。サッカーをするとか(笑)。もちろんサッカーボールがないからできないと反撃を受けますから、例えであるとすぐに言わなきゃいけませんが……。ただ、マラソン大会ならできますよね(笑)。 その動物の世界に幸福を目指した命を保つこと以外のこと、例えば食糧を得るセックスをすること、これは命を保つわけですね。その命を保つこと以外のことをしているか? ということです。そうすると、人間だけが幸福というものものを追及しているのであれば、もともと幸福というのが非動物的なものなのか、つまり人間の頭の幻想だけによるものか? そこは少し考えなければいけないのではないかと、まぁ、そんなふうに思います。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250128