美禰子は優美な露悪家なのか
美禰子は露悪家そのものではない。露悪家とは自己本位で、自分に正直である。例えば三四郎が好きならば、正直に「愛している」と伝えるから、三四郎もわかり易い。しかし、美禰子は詩人であり教養があるから、あまり露骨な言動はとらない。そこで、別な表現で示すことになる。つまり、形で示そうとしたのである。
原口が、本格的な肖像画を展覧会用に描き上げるなら、三四郎と出逢ったあの日の服装と団扇を蒻すポーズを以って、三四郎への愛の表現を肖像画に託したのである。
相手に不快感を与えるために偽善を以って露悪を行うという「優美な露悪家」ではない。
美禰子の場合は、悪意のない「高尚な露悪家」と言うべきであろう。
しかし、三四郎は自分でも疑っているように、人一倍感受性が鈍いので、美禰子の愛を察することはできなかった。
気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250604